時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

人生とは、階段そのもの。上り続けて、疲れたら踊り場で休み、そしてたまには下りても大丈夫。

 

f:id:kohei_nagura:20180427114741j:plain

 

 

どーも。今週末に引越しを控え、新しい土地へのワクワクが止まらない、公平です。

 

 

  

さてさて、あっという間に、今月も終わってしまいますね。

桜が咲き、たくさんの出会いと別れがあった春から、徐々に夏に片足を突っ込んでいく季節に入っていきます。

 

そこで、直近の楽しみと言えば、誰が何と言おうと、GW休暇でしょう(笑)。

 

 

しかし、この時期近辺で少し警戒すべきことは、やはり五月病

僕も毎年、この時期はポケーっとするというか、燃え尽き症候群にならないよう自分に喝を入れています。

 

 

そんなわけで、本日は、GW突入前のこの時期だからこそ伝えたい“The 人生哲学”「人生階段論」について、少しお話しさせていただきます。

 

 

 

 

 

【人生とは…のぼり続けるなにものか?】

 

よく人生論が語られるとき、「人生とは、◯◯と同じだ」なんてフレーズが横行してますよね。

皆さんも、長い人生、何度かこれに似た言葉を耳にしていることかと思います。

 

 

◯◯に入る言葉として、例えば、

「人生は、山登りと同じだ」

「人生は、マラソンに似ている」

などなど。

 

これらは、そのフレーズが発せられた人の人生観を表わしていて、とても面白いのですが、

この◯◯に入る言葉って、「のぼり続けるもの」が入ると非常にしっくりくる気がするんです。

 

 

別に、これは◯◯に「上昇」というイメージが埋め込まれていれば、何でも良いんです。

要は、ザックリ言ってしまえば、「成長論」が内包されているような概念ですね。

 

 

このことを考えたときに、いちばん手軽に、でもどんな人にも想像しやすいのが、

◯◯=階段

なんじゃないかな、って思うんです。

 

 

 

【人生とは、階段そのものである。】

 

「人生は階段である。誰かはのぼる、誰か下りる、そしてあわてれば、転げ落ちる。でも、踊り場があることも忘れるな。ここで休むか、方向を変えるために」

 

これは誰の言葉か分からないのですが、昔々に聞いたことがあって、今でも頭に残り続けている印象的な言葉です。

 

 

 

小学生の頃、階段の一段飛ばしとか二段飛ばしって、やったりしませんでしたか?

僕も、それはそれは無邪気に、階段を駆け上がったり駆け下りたりしたものです。

 

 

でも、成長していくと、周りの目を気にしてなのか、やらなくなりますよね。

もしかすると、階段を駆け上がったりしたら、体力的に疲れちゃうからかもしれません(笑)。

 

 

 

人生も、これに大きく似かよっている部分があると思うんです。

 

 

階段を駆け上がるスピードや体力は人によって違いますが、着実に一歩一歩、踏みしめます。

そして、気付けば1Fから2Fへ、2Fから3Fへ行っている自分がいます。

 

でも、勢いで駆け上がってしまうと、つまづいたり、ひどいときには怪我をしてしまうこともあります。

 

 

だから、もちろん着実な上り方を知った上で少しでも早く階段を行くのは良いですが、

基本は、たまには下りてくる人を避けながらも、一定のスピードで行くことです。

 

 

このブログのコンセプトでもあるのですが、

「時々、まわりみち」

をして、踊り場あたりで、少し休んでも良いんです。

 

さらには、別に階段なんですから、下りたって一向に構わないんです。

いずれ、目的地であるゴールにたどり着けるのであれば。

 

 

そして、その階数は、自分が決めることですから、何階でも良いのです。

 

 

 

ただ、高ければ高いほど、眺めることのできる景色は違ってきます。

 

ほら、Mr.Children『終わりなき旅』の歌詞の中でも、

高ければ高い壁の方が、登ったとき気持ちいいもんな

ほら、まだ限界だなんて認めちゃいないさ

って言ってるじゃないですか!(笑)

 

 

www.youtube.com

 

終わりなき旅

終わりなき旅

  • provided courtesy of iTunes

 

 

この『終わりなき旅』は、僕の人生のバイブルともいえる曲で、ツラかったとき、幾度となく救ってくれた思い出の曲です。

 

 

話は逸れますが、ミスチルの曲の紹介も、この一つ前のブログにて書いていますので、

興味がある方は、ぜひぜひ一度ご覧いただければ幸いでございます(笑)。

↓↓↓

 

 

 

【上に行くのに、ラクをしようと考えてはいけない。】

  

f:id:kohei_nagura:20180427130046j:plain

 

この世の中に、ただただ上を見続けることによって、上に行くことのみしか見えていない人の多いこと多いこと。

 

そして、その目的のためであれば、いかにラクに、いかに効率的に階段を上るかが勝負とばかりに、

その手段は厭わず、人を簡単に裏切ってでも、自分ひとりが高い階数に行こうとしています。

 

 

もちろん、上昇志向はとても大事なことで、この気持ちを失ってしまったら、快楽を目的としている動物と同じです。

自由意志があり、何かを創造できる存在であるがゆえに、人間たる所以です。

 

 

しかし、階段を上るのに、一気に次の階に着く方法などありません。

王道は、着実に同じペースで一歩一歩、ただ踏みしめて上って行くだけです。

 

駅やデパートのように、エレベーターやエスカレーターがあるわけでもありません。

たくさんの人が、同じ速さで、1Fから10Fに行ける方法などありません。

 

 

 

だからこそ、「人生とは、階段そのもの」と言えるのです。

 

 

 

 

 

最後に、ニーチェのこんな言葉で締めたいと思います。

かつてハインリヒ・フォン・シュタイン博士が私の『ツァラトゥストラ』を読んで、一語も分らなかった、と正直に苦情を洩らしたことがあるが、そのとき私は彼に、「それでいいんですよ、あの中の六つの文章が分ったなら、ということは体験したなら、ということですが、そのときには「近代的」人間の到達できるよりも一段と高い人間の階梯(かいてい)へとわれわれを高めたことになるのですから。」と、語ったものだった。

 (引用:『この人を見よ』より)

 

 

この人を見よ (新潮文庫)

この人を見よ (新潮文庫)

 

 

 

ここで言う「階梯(かいてい)」という言葉が、人生を階段だとイメージする手助けになります。

 

かのニーチェも、人生を階段のように考えていて、『ツァラトゥストラ』という著書により、

「人類を一つも二つも上の階数に導けた!」と、声高らかに言っているような気がします。

 

 

 

ちなみに、ツァラトゥストラについては、以前の記事にて紹介しています。

↓↓↓

 

 

自分の軸の形成のヒントになった愛読書の一つであり、ぜひ読んでいただきたい本ですので、本作品にも興味があれば、

手に取って自分の解釈を加えながら読んでみると、非常に得るものがあり面白いかと思います。

 

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平