どーも。iPhone SEからiPhone SE2に乗り換えるか悩みまくり中、公平(@kohei_nagura)です。
さて本日は、現在のアフターコロナ時代だからこそ真剣に考えたい、
「監視社会の是非」という少し難しいテーマについてのお話です。
【それぞれが他人を監視し合う社会、どうですか?】
さっそくですが、あなたは緊急自粛期間が終わったこのウィズコロナ時代、
どのように感じて、どういったことを意識して過ごしていますでしょうか?
「在宅ワークが終わり通勤電車に乗る毎日が復活してしまった…」
「オンライン授業でよかったのに分散登校してから普通の授業になった…」
「ついにディズニーが復活して当選!嬉しいすぎる!遊びまくるぞー!」
などなど、さまざまな意見や考えがあることかと思います。
ただ、それでもやはりみなさんの心の中に共通することとしてあるのは、
「自分はコロナにかかりたくない…」という思いでしょう。
この思いがあるからこそ、日本だけではなく世界中の国々の首脳陣が、
「経済」と「医療」のバランスを考えた政策をいろいろと実施しているわけです。
この国政について、推敲に推敲を重ねて実行することは非常に大切なことですし、
あらゆるメディアが、われわれ国民に考える機会を提供してくれることは有益です。
しかしながら、それと同時に大きな副作用を生んでしまいました。
それが、「お互いにお互いが監視し合う社会」です。
これには賛否両論ありますが、あなたはどう考えますでしょうか?
たとえば、全国で唯一コロナ感染者が出ていない岩手県。
県外の人が入ってくることで岩手県でも感染者が記録されてしまうのではないかと、
岩手県の方たちが、常に県外から来る人を「監視」しピリピリしているといいます。
もちろん、全員が全員このようにコロナに関して監視しているわけではないでしょうが、
このような感覚は「自分だったら…」と考えると否定はできないのではないでしょうか?
つまり、これこそが「他人の行動に目を見張らす相互監視社会」です。
“接触アプリ”登録1位は岩手県 高い危機意識(20/07/02)
もし仮にコロナ感染者が身近に出てしまったら、
「あ〜『密』のところに行ったのね」
「自業自得…こっちには近寄らないでね」
と感じるケースも、正直かなり多いかと思います。
そしてひどい場合だと、リアルだけでなくネットなどで誹謗中傷の嵐。
コロナ拡散を防ぐために国がうち出した政策をメディアが流し、その圧力を感じた国民が「監視し合いの社会」をつくりあげ、
なかには正義の剣をふりかざして、自分勝手に「悪」とみなした人を成敗しようとするヒーロー気取り野郎が出現するのです。
【でも、そんなに一元的な管理社会も悪くない】
では、「お互いがお互いを監視し合う社会」の悪い面だけに目を向けてみましたが、
逆にいえば同時に、この国家による「監視社会」の良い点があるのも事実です。
たとえば、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『パノプティコン』という監獄(一望監視施設)の概念を提唱しました。
ちなみに、パノプティコンのザックリとした絵はこんなかんじ。
この『パノプティコン』という監視塔が中央にあることが、塔の周りの受刑者にとって
常に監視されているかのように行動しようとする強い動機付けになるのです。
フーコー自身は、このパノプティコンの存在を
「人間は常に権力からのまなざしを意識し権力を内面化してしまう」と否定します。
これは世界の国を例にとっていうと、現在の中国みたいな強権国家も同じようなものです。
まさに最近の香港国家安全法が可決されたケースなどはその最たるものであり、要は、
中国がパノプティコンとなって香港を監視しておきたいがゆえに採決されたのです。
ただ、中国の社会に適合する人間をつくり上げるための権力に対抗すべく香港では連日デモが起きています。
そのこと自体は、「高度な自治(言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由など)」が保障されているので当然ですが、
一国二制度がやぶられ「完全なパノプティコン化」される足がかりになってしまうのではないかという懸念がありますね…。
また小説でいうと、ジョージ・オーウェルの『1984年』におけるビックブラザー党。
おそらく、アメリカのトランプさんの大統領就任の際に爆発的に売れた小説なので、
反ユートピア小説である『1984年』が記憶に新しい方も多いのではないでしょうか?
実は、この『ビッグブラザー』というは刊行された当時モデルがあって、
第二次世界大戦時のソビエト連邦の最高権力者スターリンをモデルにしています。
さらに別の小説でいうと、夭折の作家・伊藤計劃(いとうけいかく)さんの『ハーモニー』。
この話は近未来が舞台となっており、人間の健康状態などの個人情報が一元管理され、
「優しさが人を絞め殺す社会」というキーワードで一時期かなり有名になりました。
これらのストーリーに共通するのは一元社会で管理されることの魂の叫びが描かれているということですが、
もし仮に『大きな権力による管理』が悪だとすれば、なぜ今の中国国民は幸せに暮らしているのでしょうか?
それは、ズバリ
「国による一元管理体制で国民が大きな利益を得ているから」
です。
そうでないと、中国に住む方々が「パノプティコン」となっている自分たちの国をよしとするはずがありません。
たとえば、よく言われているのが「監視カメラ」による政府の一元管理。
これは普通に考えれば「自分のプライバシーがなくなってしまう!」と考えてしまいます。
しかしながら、ある機関の調査によると、監視カメラの設置が普及したことによって、
中国国内で社会問題化している「誘拐」が解決されるという事例も出ているとのこと。
結果として、これが中国での「社会治安に対する満足度向上」につながっているのです。
これは、功利主義の祖・ベンサムが提唱した『最大多数の最大幸福』の考え方です。
先ほどの中国における監視社会において、国民が利便性を得ることや幸せになるといった場合を考える際、
この功利主義の観点に立った「最大多数者の幸福(=統治管理社会への満足度の総和)」を意味します。
ただ注意が必要なのは、生活の質が向上するとか暮らしが便利になるとか盗難の危険性が減るなどといったことは、
あくまでマジョリティの立場に立った評価であり少数者であるマイノリティの立場を考えていないということです。
そういった意味では、日本人というのは「和」を非常に重視する民族なので、
「マイノリティの意見を無視することは許さない」という意見も多いと思います。
ここが日本の国民性の良いところというのか悪いところというのか、「自由資本主義」を謳っている割に、みんなで平等に進んでいかなければならないという「共産主義」的思想が日本の教育には根強く残っている気がしています。
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そのため現在のアフターコロナ時代において、政府が失業してしまって収入が途絶えた方々に向けて、
最低限の生活を送るために必要な現金を支給するベーシック・インカムを優先度高めに行っているのです。
…ということで話がだいぶ逸れつつありますが(笑)、とりあえず本日お伝えしたいのが、
「頭ごなしに『一元管理社会』を否定するのではなく良いところも見つけ取り入れてみては?」
ということです。
たしかに、歴史的に見ても強権国家は破綻する運命にあります。
しかし、それはあくまでも「国民が権利を認められず不遇な扱いをされ不利益を被ってきたから」というケースが大半です。
いまの中国の一元管理体制を見て「それだから中国はダメなんだ!」と根っから否定するのもお門違いですし、逆に監視社会という点では、
日本においても、ウィズコロナ期間で『新型コロナ接触アプリ』が開発・普及され賑わっているのが監視体制化している大きな証拠でしょう。
なので、せっかくのコロナ騒動で変換点にきているという流れに乗じて、
「一元管理」や「監視」ということについて再度考える機会にしてみてはいかがでしょうか?
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平