時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

いつ急に健康が損なわれるかわからない。突然の病気やケガで感じる、当然だがとても大切な3つのこと。

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どーも。過去イチの大ケガにて自宅で療養中、公平(@kohei_nagura)です。

  

 

 

というのもですね、勝手に話し始めてしまうと(笑)…

先日ひと仕事を終えて帰ろうと職場から家まで帰っていたときのこと。

 

 

僕は通勤で自転車を使っているのですが、職場から自宅への帰宅途中に顔から転倒してしまい、

(サービス業ということもあり)自宅で1週間以上もの療養を余儀なくされてしまったのです!

 

 

現在(というかさっき!)やっとのことで前歯2本の仮歯が入り、気持ち的にもだいぶ落ち着いてきました。

夜遅くの帰宅で診療している病院がなく、事件発生当時こそかなりワタワタとしちゃっていましたが…(笑)

 

 

 

正直、自分の中ではあまりにも大きすぎるケガだったので、最初は「あれ…?これ夢か…?」と現実逃避ぎみでしたが、

今は、いろいろな方に助けられながら「いい教訓になった!」と現実を受け入れるようになったのでご心配なく!(笑)

 

 

まぁ、とにもかくにも、自転車の通勤は危険すぎるので当分は控えておこうと思っている今日この頃であります。

 

 

 

 

 

てなわけで、療養しながら感じたことが3つあるので、

「病気やケガをしたときに思うこと」

と題して、徒然なるままに書いていきたいと思います。

 

 

 

【目次】

 

 

【ケガをして強く思った3つのこと】

①体験したことない未知のこと。こわすぎる。

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だいたい人っていうのは、なにが起こるかわからないことに対して大きな不安を感じます。

もちろん、そこのあなたもそこのあなたも、初めてのことは基本的に緊張すると思います。

 

 

今回の僕の件だと、前歯2本が根元から折れてしまい小さい頃に行った以来の歯医者さんに行ったのですが、

「今後ちゃんと歯が復活するのだろうか…」

「麻酔やったことないけど大丈夫だろうか…」

などなど、治療のときに自分でも心拍数MAXなくらいに緊張して手汗もMAXでした(笑)。

 

 

先々のこともわからず、「どのような治療をされるのか」ということをかるく説明を受けるだけで、

今後の完成形は見えないままの治療は不安でした(僕が先々のことを考えすぎなのかもしれませんが…)。

 

 

 

そんななか、いちばん救われた歯医者さんの言葉が、

「いまはケガしたてで気が動転してるかもしれないけど、大丈夫。どんな歯も必ず生えてくるから!」 でした。

 

この心身ともに弱っている状態での「未知の暗闇を歩き途中の『大丈夫』という灯りの威力」たるや…!

 

 

 

最近では、ポジティブワードの力が過小評価されがちなときも多い風潮ではありますが、

誰もが感じる未知な不安なことへの「大丈夫。」は多くの人を救う言葉になりうると強く感じました。

 

言葉は現実化する―人生は、たった

言葉は現実化する―人生は、たった"ひと言"から動きはじめる

 

 

 

②身体と心。密接につながりすぎて改めて驚愕。 

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今回、歯医者さんや皮膚科クリニックなど久々に病院めぐりをしたわけなのですが、

当たり前の話ですが「ケガが治ってくると気持ちも明るくなるなぁ…」と改めて強く感じました。

 

逆に、身体面で大きな疾患があると「前を向こう!」と決心したメンタル面までやられてしまうのです。

 

 

 

 

 

…とココで思い出したのが、学生時代の研究のこと。

 

 

 

僕は、いまでこそ理系出身とは思えないキャリアを送ってきましたが、

そんな僕も学生時代は「人工股関節」についての研究をしていたのです。

 

その理由というのが、「工学+医療=生体医工学」という分野で社会に貢献したかったから。

それと、母が過去に股関節の手術を受けたことがあるという、なんとなくのご縁があったから。

 

 

 

いま思えば、こんな僕でも大きな志を持って理系分野の研究に励んでいた時期があったんですね(笑)。

 

 

 

 

 

…まぁそれはさておき、「人工股関節」のどんな分野の研究をしていたかというと、

「術後の鈍痛(どんつう)・疼痛(とうつう)の除去」に寄与するような実験を日々行っていたわけです。

 

 

実際に、ラットの足に(小さなラット用の)人工股関節を手術して埋め込み、

いろいろな治療をすることで正常のラットと術後のラットの行動パターンの違いを調べるわけです。

 

 

 

そのときに毎回リアルに感じたのが「術後にずーっとズキズキ痛むのは大変だよなぁ…」ということです。

 

 

 

もちろん術後の患者さんの様子とかを拝見すると、ものすごく感情移入してしまい哀しくなるのですが、

術後のラットの元気のない哀しい顔を見ているときでさえ、「どうにか痛みを和らげる方法はないか」と考えました。

 

 

結果として、大学院には行かず学部卒で就職したため「人工股関節術後の痛みの除去」にわずかしか貢献できませんでしたが、

大変お世話になった教授のおかげで多面的な思考がつき、まさに現在ケガをして「身体と心の密接さ」を考えさせられました。

(なので、①の例にあげた「大丈夫!」という言葉は、冗談抜きで身体面で傷ついてる人への魔法の言葉になります!(笑))

 

 

 

 

 

ちなみに、ケガをしたときの「心と身体」については以前の記事がありますので、

ぜひ併せて見てみてくださいね!(…にしても自転車事故が多いなぁ…(泣))

 

 

 

③人はひとりだと生きられん。多くの人に感謝。ケガに感謝。

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とにかく、ケガをしてからスゴい考えたのが「人に支えられているなぁ」ということ。

ありきたりですが、ひとりでは生きられない「人間」というのは支え合っていかなければならないなぁ、と。

 

 

 

まずは、ケガをしたてでどうにもならないときに行った夜間緊急病院で歯医者さんを探してくれた看守さん

そして実際に、深夜なのに折れ曲がった歯の治療にあたってくれた励ましの言葉をかけてくれた歯医者さん

 

自分がケガをしたのを聞きつけ、次の日にわざわざ個人LINEにて優しいメッセージをくれた職場の先生

 

 

そしてなにより、ひとりで初めての大ケガで泣きそうになったときに、

次の日の仕事を急遽休んでまで朝イチで自分の家までかけつけてくれた彼女。

 

 

 

月並みな言葉かもしれませんが、

感謝という言葉では生ぬるいほど感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

  

うつになり「この世のすべての不利益は当人の能力不足」とばりに歯を食いしばってはいつくばって進んだ昨年。

  

www.life-travel-consultant.com

 

人は簡単に裏切るからと「誰も信じることなく自分の力だけで進んでいこう」と決意を固めた昨年と比べると、

いま自分のケガに対するありがたみを感じるとともに、身近で助けてくれた方々にサポートされ生かされているなぁと。

 

 

 

 

「そんなの強がりだよ!」とハタから見て思う方もいるかと思いますが、これまたフシギなもので、

「なんで俺がこんな目に…」というのは全くなく、むしろケガに対して「ありがとう。」という想いが強いですね。

 

 

こう感じることができるのも、ホント

大変だった事故発生後の数日を彼女がそばにいてくれたことが大きいなぁと感じています。

 

 

 

 

 

まぁ、よくよく考えてみれば「ケガにありがとう。」というのも逆説的な話ではありますが、

そんな折、面白い記事があったので少々長めですが以下にシェアさせていただきますね!

 

カンボジア国境に避難している難民の救済に出発する一ヶ月前のことである。私の不注意で石畳に横転して左手の指を三本折ってしまったのである。家に帰ってきて入口の障子を明けると、『丸田翁の健康法の話』というパンフレットが置いてあった。そのパンフレットの一番大切なところは、「治して下さい」とお願いをしてはならない。「治して下さってありがとうございます」と大声で一時間言っていると、必ず大転換が始まってくる、必ずよくなる、運命も変わる、と言うことであった。ごはんを食べる時も、寝る時も、起きる時も、「治して下さってありがとうございます」と唱える。空気も水も太陽も、みんな生かそうとしている。われわれは生かされるようになっているのだから「ありがとう」とお礼を言わなければならない、と書いてあった。早速、大声で仏様の前で「治してくださってありがとうございます」と一時間唱えてみた。すると本当に大転換が始まった。勿論、折れた骨が、元どおりに治るわけではない。しかし、先ず、お礼が出て来た。「左手であってよかった。右手であったらどんなに大変だったろう」と大感謝がこみ上げてきたのである。次に足の指を三カ所折ったら、歩くことが出来なかっただろう。「足でなくて手であってありがとう」と心からお礼を申し上げた。また、顔であって包帯でぐるぐる巻きにしていたら、人さまにいらぬ心配をおかけする。そして、家でけがをしなくてよかった。外の皆さんにご迷惑をかけることになる。次々、お礼がふえてくるのである。そして最後に「女房でなくてよかった」「私であってありがとう」と心底からお礼がこみ上げ苦笑してしまった。そのようにお礼を言っていると、けがの痛さを忘れ、けがをしたことが喜びに変わってくるのである。

 

 

この文章を読んで、「あ!これに近い!」と思ったのです。

「大ケガだけど命に別状がなくてよかったなぁ」と。

 

 

これがたとえば、少しズレて打ちどころが悪く頭を打ってしまったら、ずーっと目を覚まさなかったかもしれません。

そもそも自分が転倒したものの、もし自分の大事な人が転び重症になってしまったら立ち直れなかったかもしれません。

 

 

 

ということで、今回の出来事をまとめると、

突然の病気やケガで自然と感謝の念が押し寄せてくるのだと改めて感じたのです。

 

  

 

【まとめ:事故やケガを悲観視しても先には進めない!】

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今回のケガの件から考えると、突然の災難がふりかからない確率というのはほぼ0%なはずなので、

もちろん、ある程度の予防、場合によっては保険などの対策が必要になってくるかもしれません。

 

 

 

さらに拡張すると、困難や苦労を経験しない人は世の中にいないはずなので、

こういったケガや、それと大病をしたときこそ大きな幸せを感じるチャンスです。

 

 

 

ほら、バットマン(の亡くなったお父さん)も言ってるじゃないですか。

「ブルース、なぜ人は落ちるのか?這い上がるためだ。」

バットマン ビギンズ (字幕版)
 

 

 

この言葉は非常に深いなぁと感じますが、まさに今回の事故でフッと浮かびました。

「事故になった自分を責めても仕方がない。これを機に這い上がるんだ」と。

 

 

 

 

 

少し大げさな表現かもしれませんが、現在ケガや病気で苦労されている方がいらっしゃったら、

今回の記事で前を向いて進んでいただければ、今回の事故がムダではなかったと嬉しく思います!

 

 

予防するに越したことはないですが、もし病気やケガになってしまったとしても、

悲観しせずに、這い上がるんチャンスだと思って未来を見て進んでいきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平