どーも。日々、自分に負けないように必死で戦いながら生きております、公平です。
中高一緒だった友達が亡くなって、早いもので今日で七回忌となります。
いろいろと考え、このような形で想いを記そうか悩みましたが、
一人でも多くの方の目に留まり、救われる方がいらっしゃったら…
と思い、本日、この自分の想いを綴ることにしました。
本文章が、少しでも生きづらさを感じている方のお役に立てれば幸いです。
【七回忌を迎え、「彼」に想いを巡らす。】
いきなりですが、今から6年ほど前に遡ってお話させていただきます。
その当時、僕は大学受験のため二浪をしていました。
詳しい話については、以下の記事をご参照ください。
↓↓↓
【3.11】東日本大震災から7年。震災と向き合い、生きるということ。
忘れもしない6年前の3月8日、僕は第一志望の大学の合格発表がありました。
全力を尽くして辿り着いた「合格」だったため、本当に、本当に感無量でした。
しかし、それから1週間後、同じく二浪していた友達が首を吊って自死しました。
「彼」は超難関と呼ばれる大学の医学部志望で、昔はバスケの県選抜に選ばれ、
学校での成績も優秀、絵に描いたような文武両道の模範的な友達でした。
浪人期間中も、僕と同じ唯一の二浪仲間で、
風の噂ではバイトしながら受験勉強に励んでいるとのことでした。
人一倍、責任感が強かった「彼」、浪人も両親に迷惑をかけてしまうとの思いから、
自ら選んだ決断だ、というように周囲からは聞いていました。
そんな「彼」は、生きることに耐えきれなかったのだろうと思います。
だからこそ、「彼」が亡くなって告別式に参列してから、
自分に何かできることはなかったのだろうか…
と、とても後悔したのを覚えています。
そこで、考え抜いた結果、
「彼」の分まで大学生活を楽しみ、どんな時も人生に前向きに対峙しよう
と決意しました。
それから、毎年この時期になると、「彼」のことを思い出しては、初心に返るのです。
【自分に何かできないだろうか】
「彼」が亡くなって1年後、僕は札幌から実家の神奈川に帰省し、
一周忌のため、「彼」のご両親と連絡を取り、お墓参りに伺いました。
そして、ご両親とお会いしお話させていただきました。
こうしたのは、やはり「彼」を忘れないために供養すること、そして
ご遺族のご両親を少しでも助けることはできないか、と思ったためです。
ご両親は、「彼」の生い立ちや学校外の家での様子など、様々なことをお話くださいました。
自死している「彼」を初めて見つけたのはお母様だった、ということまでお伺いしました。
そこまでお伝えくださり申し訳く思うと同時に、
本当に心苦しかっただろうと、大変胸が締め付けられました。
それから、お墓の近くの駅まで送っていただいてお別れをしたのですが、
思い出したくないことを思い出させてしまったのかなと、少し考えてしまいました。
しかし、「彼」の死を忘れない友達がいるということ、自分を責めずに「彼」の死を受け入れてあげること、
そして、ご両親が悲しい顔をすると天国で「彼」がもっと悲しむ、ということをお伝えでき、少しでも役に立てたのかな、と思いました。
こう自分が言うのも大変おこがましいですが、
自分も「彼」の死から何かできないのかと必死で探していたんだろうと思います。
【完全に理解するのではなく、理解しようと努めてあげて。】
毎年、この3月は「彼」に想いを馳せるのですが、
とにかくいろいろなことを考え、悲しく居た堪れない気持ちになります。
そんななか、先日、
「自死遺族」という存在を世の中に伝えたい
という想いでブログをされている方の記事がありましたので、共有したいと思います。
自死遺族と言ってもひとりひとりに異なる苦悩があり、ときに他人を攻撃したり自分が嫌になってしまうときがあると思います。 悲しいけれどその苦しみは必然だと言っていいかもしれません。家族を失ったのだから、当たり前なんですよ。 だからいっぱい泣いて、いっぱい怒って、自分の感情を抑え込まないであげて欲しいと私は思います。 自殺者を受け入れるためにも、そして自死遺族としての自分を受け入れるためにも、それは大切な過程だと思います。さみしくなるのも悲しくなるのも仕方ないです。そう感じることは悪いことではありません。
私は自死遺族として自殺という選択肢を選んでしまった、選ばざるを得なかった人達を受け入れていきたいと思いますし、それによって遺された人達の苦しみも受け入れるようにしていきたい、受け入れられる人間になりたいと思ってます。
(引用:『心がよろけそうなときに読むポンコツ日記』より)
本記事を読み、残されたご遺族のことを考え泣いてしまいました。
自死遺族として過ごされて、本当に苦しい想いをしながら生きてこられたのだと思います。
でも、文章を反芻するなかで別の考えにも辿り着きました。
この記事を読ませていただき、勿論、ご遺族の方も辛い思いをされていると思いますが、やはり、
亡くなられたお父様が一番辛かっただろう
と思われて仕方がないのです。
それこそ、ウツになった方しかウツの症状を分かりませんし、
ガンになった人しかガンの症状を分からない、と思います。
だから、
当事者以外の人が「相手の気持ちが分かる」なんて言葉を軽々しく使うべきではない
と思うんです。
そうではなく、
「相手の気持ちを理解できるよう最大限努める」
というのが正しいと思うんです。
亡くなった「彼」の気持ちは、今でも分かり得ません。
想像を絶するほどの苦しみだったと思います。
でも、今は少しずつ「彼」の気持ちに近付けている自分がいます。
一生かかっても完全に理解することはできないですが、
いつまでもその努力は止めることはないでしょう。
だから、皆様にお伝えしたいことはたった一つ。
悩み苦しんでいる人を、完全に理解してあげなくても良いです。
ただ、自分の「命」を少しおすそわけして、その人の気持ちに寄り添ってあげるようにしてください。
この世の中に、人の気持ちを分かってあげようと努力する優しい人が、一人でも多くなりますように。
そして、素敵な贈り物を遺してくれた「彼」。
天国で、安らかに眠ってくれるのを心から祈るばかりです…。
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平