どーも。HULUトライアル期間で登録を継続するか大いに迷い中、公平です。
さて、皆さんは『風姿花伝』という本、ご存知でしょうか?
学生の時に日本史を学んだ方は、観阿弥、世阿弥の名前は知っているはずですが、
具体的に何をした人か印象に残っている方は、ごくごく僅かかと思います。
実は、この世阿弥が父・観阿弥の教えをまとめた書いた『風姿花伝』、
ただの歴史で学ぶもので終わらせるには、あまりにも勿体ない本なんです。
そんな『風姿花伝』について、本日はシェアハピしたいと思います。
【室町時代に書かれた伝書『風姿花伝』とは?】
まず簡単に、『風姿花伝』がどのような本かというと、1400年ごろに世阿弥が書いた本であり、父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成した成果を、後世に伝えるための書です。
パッと見た感じ、
「能って何なのかよく分からない…」
「室町時代の本なんて取っ付きにくそう…」
という印象を受けて、興味がみるみるうちに失せてしまうかもしれません。
しかし、ちょっと待ってください。
それでは、あまりに人生を損してます。
それくらい、『風姿花伝』には一読する価値が眠っています。
僕個人としても、全然この本の一から百まで理解している訳ではありませんが、
その人その人によって、グッとくる箇所が異なってくるので、ぜひご一読を。
では、そんな『風姿花伝』の構成をザックリ見てみると、
- 第1章 年来稽古条々
- 第2章 物学条々
- 第3章 問答条々
- 第4章 神儀云
- 第5章 奥儀云
- 第6章 花修云
- 第7章 別紙口伝
という、なんとも思考停止してしまいそうな難しそうな印象ですね(笑)。
そこで、さらに紐解いていくと、
- 第1章 年齢に応じた稽古の仕方(年齢に応じた対処の仕方や歳を経ていく自分についての人生論)
- 第2章 稽古すべき芸について(「学ぶ」=「真似ぶ」より心持を物真似し続けることで得る自己認識)
- 第3章 芸の実力を発揮する工夫(日々まともに芸を演じている間に自然に「花」を咲かせる方法を会得)
- 第4章 申楽の歴史(能の由来から学ぶ歴史の重要性)
- 第5章 最も究極的な教え(芸能の本質を解明し万人の目を意識して演じる名手になるという理想像)
- 第6章 能作の問題を説く(能を創るという芸術心を保つための心得)
- 第7章 「花」の解明(珍しい「花」となることの大切さ)
という話になります。
こう見ると、「能」の話に主眼を置いていますが、解釈次第で
自分の人生に活かせる言葉が、ふんだんに含まれています。
例えば、
「心より心に伝る花なれば、風姿花伝と名付く」
という言葉があります。
これは、
「自分の経験から得た知恵こそが花であり、その花は人の心から心へと伝わっていくものである」
というように解釈できます。
「花」として表現するあたりが、とても日本人の情緒あふれる素敵な言い回しですね。
このように、人生論に通ずる様々な芸術論が述べられているのですが、
今回は特に有名な、 個人的にも大好きな一節について、お話したいと思います。
【自分らしい「花」を咲かせる】
本書は、自分らしい「花」を咲かせ続けるための古典的アート(芸能)論書です。
そんなアートを論ずる中にも、現代にも受け継がれている人生論があり、
一つ目は個人的にも教訓とする、「初心忘るべからず」という言葉です。
一般的に「最初の頃の志を忘れてはならない」という意味で使われるますが、
世阿弥が述べた「初心忘るべからず」は、もう少し複雑な意味合いで使われています。
それは、「初心の頃の未熟な考えや技を常に持ち続ける」という解釈です。
役者さんは、年齢ごとの旬の演技があり、いつでも披露できるようにすることが非常に重要です。
世阿弥は、「花はこころ、種はわざ」とも述べていますが、
初心の芸を捨て去ることは、花を咲かせるための大切な種を捨ててしまうこと
であるとして、本書では戒めています。
これは、人生に当てはめることができます。
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり。」
というように、たいてい人は「時分(その時かぎりの魅力)の花」に舞い上がってしまうということを語っています。
僕の場合だと、25歳になるくらいに初めて読み、
25歳の頃に周囲から誉められたからといって、時分の花に迷ってしまうと、 まことの花(決して散ることのない魅力)は得られない。
と言われているようで、「初心」はこのころ訪れるものであると学んだ印象深い言葉です。
若い頃の初心とは別に、中年や老年になっても新たな初心が生まれることを知っておけば、
珍しく華やかな「花」は一過性のもので、いずれ枯れるということが分かり、迷わされずに済みます。
なので、この時のことを強く記憶することで「初心」を常に持ち続けよ、ということなんですね。
そして、二つ目は「秘すれば花」という言葉。
世阿弥にとって、舞台とは勝負の場だったため、
どんな時でも観客をビックリさせる秘策を用意しておくべきだと述べています。
各家に継承される芸道の秘伝というものは、他人に知られないことにより最大の効果を発揮するものでなので、
秘することそのものが芸に最大の「花」を生む秘伝である、ということを言いたかったのだと解釈しています。
これが人生論に形を変えれば、人生に戦略が必要であるということではないでしょうか。
皆さんの周りにも、どこかミステリアスで魅力を感じる人っていませんか?
そんな人は、心の内に綺麗な「花」を秘めているから惹かれることが多いのです。
なんでもかんでも本心をさらけ出す必要は全くなく、
人を感動させるためには、秘する「花」が必要
だと言っているんですね。
急に、期待せずされるサプライズって、めっちゃ感動しますもんね(笑)。
「ただ珍しさが花なのだ」ということをすべての人が知ってしまえば、さあ、珍しいものが見られるはずだと思い期待する観客の前では、いくら珍しい芸を披露してみたところで見ている人の心に珍しいという感覚が生まれるはずもない。見ている人にとってそれが花だということがわからないからこそ、シテの花ともなるものなのだ。されば見る人が思いのほか面白く演じる上手だ、とのみ感じ、これが花だとわかっていないことがシテにとって花となる。つまりは人の心に思いも寄らない感動を呼び起こす手立て。これこそが花なのである。
ここまでで、『風姿花伝』における二つの重要なフレーズを紹介しましたが、共通するのは、自分らしい「花」を咲かせるために努力し続けよっていうことです。
つまり、「花」が咲くのは種があってこそなので種を蓄えよということです。
いま世の中に咲いている花は、いろいろあって綺麗ですが
コロコロと移り変わり枯れるのものも多いでしょう。
それらの花の姿は、その種に蓄えられた能力であり、人間で言うと心持ちです。
このような芸術論を通じた人生論を教えてくれる『風姿花伝』…
ぜひ一度、手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
観阿弥・世阿弥の嫡流観世宗家の観世清和氏さんが訳した本もあり、非常に分かりやすいので、
初読の方は、日本文化の入門書としても読みやすい本書から入ることをオススメします!
↓↓↓
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平