時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

良くも悪くも、過去は過去。懐かしんでもいいけど、過去に執着しない。

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どーも。札幌から東京に戻り「どちらにしても寒いのはイヤやなぁ」と感じる日々、公平です。

 

 

 

さて早速ですが、あなたは昔に戻りたいですか?

 

 

この質問をすると、「◯◯の頃に戻りたい!」とピンポイントな回答が返ってくることもあれば、

「いやぁ、やっぱり今が良いわ!」と過去より現在というような回答が返ってくることもあります。

 

いずれにせよ、その人の中で「人生のどのタイミングに最も比重が置かれているか」が分かります。

 

 

 

ということで、今回は「過去への執着」ということをテーマに、ひとつお話させていただければと思います。

 

 

 

【時間は未来から過去に流れている⁉︎】 

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ではでは皆さんに質問ですが、どのように時間は進んでいると思いますか?

 

 

 

おそらく、十中八九「過去から未来に向かって時間は流れている!」という回答かと思います。

 

 

 

 

 

…しかしながら、それは間違いです!

本当は、「時間は未来から流れてくるもの」なのです。

 

 

 

「…え?」って感じですよね(笑)。

そりゃあ、過去の積み重ねが今の自分だと考えれば、未来から時間が流れてくるのなんてオカシイ話ですからね。

 

 

 

でもですね、どうやらこの考え方は、日本においては江戸時代の頃からあったみたいなんです。

 

現代の時計は時刻が固定されており、針が前に進んでいきます。これは、過去から未来に進んで行く(時間が足されて行く)考え方。

しかし日本では江戸時代まで針が固定されており、逆に時刻が刻まれた文字盤が動くという「未来から過去に時間が過ぎて行く」という考え方だったのです。

つまり我々日本人には「時間は未来から過去に流れていく」という考え方が本来あったということです。

 

rutty07.com

 

 

う〜む、、歴史を感じる、、、(笑)。

 

 

 

とにかく、イメージするなら

川上の方に未来があって、そこから川下の過去に向かって時間という川が流れている

という感じですね。

 

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yousuke3.com

 

 

 

ここで、少し考えてみましょう。

「川上を向いている人と川下を向いている人の違い」って何なんでしょうか?

 

 

これは、今回の話のキーポイントになるので、ぜひご自身で答えを出してみてください。

 

 

 

 

 

…どうですか?答えは出せましたでしょうか??

 

 

当然、ヒトは過去を思い出す生き物なので、チラッと過去を振り返ることはありますよね。

そもそも根本的に、身体の向きが「川上(=未来)」と「川下(=過去)」という違いはなぜ生まれるのでしょう?

 

 

 

その答えというのは…ズバリ「主体性」です。

 

どういうことかというと、

「自分の人生を生きているか vs 時間の経過とともに自分が動いているか」

ということです。

 

 

 

 

 

たとえば、自分の人生を生きているヒトというのは、

川上(=未来)からの流れに逆らい、流れてくる「自身の望むもの」を余すことなくキャッチしています。

  

それに対して、身体全体がそもそも川下(=過去)を向いていたら、

そちらの方向に動いていくという「懐古主義」になるばかりか、川上(=未来)から流れてくる「自身の望むもの」を見つけることすらできません。

 

 

 

これは、まさに「自分」に主体性を置いているか「時間」に主体性を置いているかの違いです。

 

 

  

ですので、

主体的に生きることができているヒトは「時間は未来から流れてくる」と言われても違和感を感じないのです。

 

 

 

【過去を懐かしんでもいいけど、執着はしない。】

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あなた自身、過去を振り返ってみて、良いこともあれば悪いこともたくさんあったかと思います。

 

いろいろ思い出してみると、すごく懐かしい気持ちになってきて、たとえば卒業アルバムを開いてみたり、

逆に絶対に思い出したくもないトラウマのような事件に怒りが込み上げてくるかもしれません。

 

 

 

別に、積み上げてきた過去の自分を回顧すること、つまり川下をチラッと見ることは何も悪いことではありません。

 

 

良くないのは「過去に執着すること」です。

執着とは、「しがみついて固執すること」ですね。

 

執着の捨て方

執着の捨て方

 

 

 

 

あなたが過去にどのようなことがありどのような気持ちになったのかは、第三者の僕が感じることはできませんが、

過去の出来事とつながっている鎖にとらわれていては、決して前に進むことができません。

 

 

もちろん、なんとなく過去にとらわれている方も多いかと思いますが、より大変なのは

「鎖を断ち切ろうとしているのに強固な鎖のため抜け出せない」という方です。

 

 

 

そんな方に向けて、ひとつ言えることは、

「川の水量」は自分の思い次第では強くできる!

ということです。

 

 

 

 

 

先ほど少しお伝えしたように、

主体的に生きる:川(=時間)の流れにのみこまれず少しづつ川上(=未来)に向かう

ということです。

 

この思いが強ければ強いほど、いくら水量が激しくなろうが、あなたは絶対に流されません。

 

 

 

そして、いずれは水の強さに鎖は断ち切れ清々しい気持ちになるかと思います。

まさにこれが、「過去の執着から自由になる方法」なのです。

 

 

 

 

 

具体的には、様々の学術的アプローチ(脳機能学・心理学・哲学・遺伝子学…などなど)がありますが、

少々話が複雑になってきて長くもなりそうなので、またの機会に…ということにいたしましょう(笑)。

 

過去と和解するための哲学

過去と和解するための哲学

 

 

 

 

とにかく、あなたが過去を懐かしむことがあっても執着までしてしまっては、いずれ未来を向けなくなってしまうでしょう。

 

 

 

なので、ときには川の流れから避難して自分を休めてあげても大丈夫ですが、

川の中にいる間は主体的に未来を向いて進むことが「人生を生きる」ということだと覚えておいていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平