どーも。免疫活性と血糖値上昇予防のため1日1パックもずく生活はじめました、公平(@kohei_nagura)です。
さてさて、みなさん。
芸術の秋、詩(ポエム)を詠んでいますか?
「このアフターコロナで経済面でバタバタしててそんな余裕なんてないわい!」という声も聞こえてきそうですね。
ただ、詩はあなたの人生に確実に生きる活力をあたえるものです。
「どうして人々は詩を学ばないのだろう?詩は人間の想像力を無限に広げてくれるし、世間のこともわかりやすく伝えてくれる。さらに、人間関係をうまく作るコツも教えてくれる」
かの『論語』でおなじみの孔子も、「詩」について上記のように語っています。
そこで、本日ご紹介したいのは山村暮鳥(やまむらぼちょう)という詩人。
1884年生まれ、群馬県西群馬郡棟高村(現:高崎市)出身の明治・大正期の詩人です。
同じ明治期では、近代詩の基礎を築いた島崎藤村(しまざきとうそん)や北原白秋(きたはらはくしゅう)などが有名かと思いますが、
この山村暮鳥も、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)や室生犀星(むろうさいせい)らと交流をしながら詩をつくり続けていきました。
そんな山村暮鳥ですが、もともとはキリスト教の洗礼を受けたキリスト教日本聖公会の伝道師でした。
1909年、人見東明(ひとみとうめい)から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて「山村暮鳥」の筆名をもらい、その後、
1913年に、教会の信者や知人達を中心に「新詩研究会」を結成し、先ほどの萩原朔太郎、室生犀星らと機関誌「風景」を創刊することになりました。
残念ながら、1924年に肺結核に悪性腸結核を併発して40歳という若さで亡くなりますが、
自然のあらゆるものに神を見いだす牧歌的な詩は、いまでも多くの人を魅了しています。
ちなみに、萩原朔太郎は山村暮鳥の追悼文にて、
「彼自身の見たる如き、ちがつた意味での基督教を信じてゐたにちがひない」と述べています。
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では、そんなこんなで本日は、
「厳選した『山村暮鳥の心に染み入る詩5作品』」をご紹介させていただきます。
【目次】
【山村暮鳥の美しい詩たち5作品】
〔萬物節〕
雨あがり しつとりしめり むくむくと肥え太り
もりあがり 百姓の手からこぼれる 種子をまつ大地
十分によく寢てめざめたやうな大地 からりと晴れた蒼空
雲雀でも啼きさうな日だ いい季節になつた
穀倉のすみつこでは 穀物のふくろの種子もさへづるだらう
とびだせ とびだせ 蟲けらも人間も みんな此の光の中へ!
みんな太陽の下にあつまれ
〔大きな腕の詩〕
どこにか大きな腕がある 自分はそれを感ずる
自分はそれが何處にあるか知らない それに就ては何も知らない
而もこれは何といふ力強さか その腕をおもへ
その腕をおもへば どんな時でも何處からともなく此のみうちに湧いてくる大きな力
ぐたぐたになつてゐた體躯もどつしりと だがその腕をみようとはするな
見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ 盲者のやうに信じてあれ
ああ生きのくるしみ その激しさにひとしほ強くその腕を自分は感ずる
幸薄しとて呟くな どこかに大きな腕があるのだ
人間よ 此のみえない腕をまくらにやすらかに抱かれて眠れ
〔人間の勝利〕
人間はみな苦んでゐる 何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ 人間の強さにあれ 人間の強さに生きろ
くるしいか くるしめ それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木を その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音のいみじさ 何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ 人間の強さに立て 耻辱を知れ
そして倒れる時がきたらば ほほゑんでたふれろ 人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視めて 大木のやうに倒れろ
これでもかこれでもかと重いくるしみ 重いのが何であるか 息絶えるとも否と言へ
頑固であれ それでこそ人間だ
〔強者の詩〕
人間の此上もなきかなしみは 此のくるしみの世界に生みいだされたことだと云ふか
否! これこそ人間のよろこびではないか
此のうつくしさが解らないのか 何といふうつくしさであらう
此のくるしみの世界は 此のくるしみに生くることは
みよ ひろびろとした此の秋の田畠を 重い穗首をたれた穀物
いさましいその刈り手 その穀束をはこび行く馬
ゆたかな天日の光をあびつつ 其處にも此處にも
落穗をひらふ貧しい農婦等 からすや雀も一しよであるのか
此のむつましさを知れ 此のうつくしさはどうだ
此の大きなうつくしさはどうだ 此のうつくしさを知るものは強い
此のくるしみの世界にのみ 人間の生きのよろこびはある
人間の生きのよろこびよ 強きものにのみ此の世界はうつくしいのだ
かくして峻嚴な一日ははじまり かくして人間の一日は終る
強くあれ 生きていると
〔太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ〕
一日の終りのその束の間をいろどつてゆつたりと 太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ
大きなうねりを打つて いくへにもかさなりあつた丘の畑と畑とのかなたに
赤赤しい夕燒け空 枯草を山のやうに積んだ荷馬車がかたことと
その下をいくつもつづいてとほつた 何といふやすらかさだ
此の大きいやすらかな世界に生きながら人間は苦んでゐる
そして銘々にくるしんでゐる それがうつくしいのだ 此のうつくしさだ
どこか深いところで啼いてゐる こほろぎ
自分を遠いとほいむかしの方へひつぱつてゆくその聲
けれど過ぎさつた日がどうなるものか
何もかも明日のことだ 何もかも明日のことだ
【まとめ】
いかがでしたか?
あなたのイチ押しの詩はありましたでしょうか?
僕個人としては、最後の『太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ』という作品が好きですね〜。
けれど過ぎさつた日がどうなるものか
何もかも明日のことだ 何もかも明日のことだ
いろいろ考えたって仕方がない…まさに『明日は明日の風が吹く』です。
1日の終わりにゆったりと太陽が日没していく情景を見事に表現しており、
トウモロコシ畑に徐々に日が消えていく様子がありありと目に浮かびます。
気を張って力強く生きたとしても、その日が終われば反省しすぎず寝てしまった方がいいのです。
そのことを、詩でキレイな情景を表現することで山村暮鳥は伝えたかったのではないでしょうか。
というわけで、なかなかコロナ騒動がおさまらず慌ただしい日々を過ごされている方もいらっしゃるかとは思いますが、
都会の喧騒を離れられるような素敵な力強い詩を詠むことで、ぜひエネルギーをチャージしてみてはいかがでしょうか?
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平