時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

胸を張って「20代は充実してた!」って言えるっすよ。…っていうひとりごと|2021.7.2【時々、まわりみち。】

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どーも。2021年も上半期が終わっていてビックリを通り越して「無」、公平(@kohei_nagura)です。 

 

 

 

 

 

さてさて、私ごとで大変恐縮ですが、先日の2021年6月29日30歳になりました

ついこの前で29歳になって「あ〜もう20代ラストの年か〜」と思ってたのに…(笑)

 

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めちゃくちゃあっという間の20代。

今でも自分が30代になっていることが信じられません。

 

というわけで、本日はいつもとはちょっと違う形式ではありますが、

「30代になったいま感じること」を書いていきます。

 

 

なので、今回は「公平のひとりごと」みたいなかんじで聞いてもらえるとありがたいです(笑)。

 

 

 

 

【20代前半をふりかえって】

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いや〜、とにかく20代はいろいろなことがありすぎたなぁ…

 

 

まず、なんといっても2浪。

大学受験の2浪中に、北海道大学を目指しながら20歳を迎えたところから僕の20代がスタートしたもんな。

 

 

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んで、なんやかんやで努力が実り合格。

 

 

 

ただ、ショックすぎたのは同じく2浪していた高校の友達が自死してしまったこと。

 

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 本当に、「嬉しさ」と「悲しさ」が入り混じった不思議な感情だったのを覚えてる。

 

「やった!ついに合格できた!」 「…けど大事な友達がもうこの世にはいない…」

っていう相反する気持ち。

 

 

 

 

 

そんなかんじで幕開けした、僕の20代スタートと共に始まった大学キャンパスライフ。

 

 

これまでは神奈川の実家だったので、念願の札幌でのひとり暮らし。

受験合格発表の次の日に父と札幌に行き、良すぎて即決した学生マンションの6階。

 

下見のとき隣の部屋からカップルが出てきて、「ぜってー彼女つくる!」なんて思ったのをほんのり思い出したよ(笑)。

 

 

 

とにかくね、行きたかった北海道大学のキャンパスライフが楽しすぎて。

大学3年生が終わったとき、1年間の休学もしてるから計5年の在籍。

 

 

ってことで就職したのは、25歳のとき。

 

僕は理系だったから本来であれば大学院でプラス2年やるのが普通なんだけど、

勉強してみて自分の将来を考えたときに「やりたいのはこれじゃない」と思ったんだよね。

 

 

というのも、そもそも僕が入ったのが「総合理系」学部。

簡単にいえば、大学1年次は「総合理系」という大きな枠組みで教養を学び、

そこから成績に応じて、行きたい学部に希望を出し順番に振り分けられる形だ。

 

 

 

んで、僕がなんとなくやりたいなと思っていたのは「健康」系。

もっといえば、人間の身体をミクロな視点で見たところから改善できるような研究。

 

すごくザックリいえば、「医学部」系。

 

ただ、医学部医学科だとメチャクチャ最高級の成績を取らなきゃだから、

僕は早々に諦めた(笑)(というか、お医者さんにはぜんぜん憧れはなかった)

 

 

 

なので、医学科保健学科を第一志望に。

これは、検査技師だったり放射線技師だったり、病院で患者さんの役に立つ仕事だ。

 

 

…ただ、結果的にビミョーにGPA(成績)が足りず落選。

仕方なしに、第二志望の「生体医工学」という医療と工学が混ざった学部に進んだ。

 

有名なところだと、ペースメーカー的な。

 

 

進級が決まったとき、「ま、『健康』的なことで、研究を楽しめそうだからいいっか」と思った当時。

 

 

しかし、ここが落とし穴。

僕の入った「生体医工学」というのコース名で、実際には「工学部」というくくり。

 

そのため、大学2年次は「工学部」としての知識を学ぶ1年間。

まぁ〜、これがキツいキツい。

僕にとっては、ぜんっぜん面白くなかった。

 

だって、やりたいのが「生物」のような健康の話なのに、

やってるのが全部「基盤(ソフトウェア)」の話とかだったから。

 

 

 

たしかに今思えば教養にはなったけど、とにかく当時は早く卒業したかった。

なんなら転部、もしくは大学中退して自分のビジネスをやろうと思ってた。

 

というのも、大学1年次は友達との付き合いを重視しながら勉強するので精一杯だったけど、

大学2年次は専門の勉強がイヤすぎて、別の勉強することにハマってしまったんですよね〜。

 

 

それが、まさにビジネス関連。

大学の講義に出席しないと単位が取れないので、内職で本を読み漁ったのを覚えてる。

 

 

まずは、自己啓発に始まり、ビジネス書、そしてそれに関連して、

「リーダー論」「経理」「組織論」などの知識を貪欲に吸収したなぁ。

 

ぶっちゃけ、これが僕という存在の礎だと思ってる。

 

塾講師という仕事がら「先生〜、大学入って何いちばんやった方がいいですか〜?」って聞かれるけど、

もうそりゃあ、ダントツ「本を読むこと」、ほか何もしなくていいから「読書せよ!」ってことは伝えてる(笑)。

 

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…ってかんじで、何個か単位を落としつつ進級。

 

大学3年次は、ちょっとはやりたいことが勉強できた1年だったけど、

もう読書のおかげで興味が変わったから、そんなにだったなぁ(笑)。

 

んでんで、もうちょっと真剣に将来やりたいこと諸々を考えたいから、

大学3年次を終えて1年間の休学(なんと国公立大学は休学費が¥0…!)。

 

その当時、同棲していた彼女とも楽しい時間も過ごせたし、

やってみたかったアルバイトをいろいろしながらお金を稼げた。

 

当然、親には申し訳ないってことで生活費諸々は自分で稼ぐと伝えてた。

 

「自分でなんとかする」という社会人一歩手前の生活をしなければと思ったのでしょう。(そんなにそのときの感情は覚えてないけども)

 

ほかにも、「部活(ボクシング部)」「勉強(英語とか会計とか)」「読書」「アメリカ放浪」など、

めちゃくちゃ自由に過ごして、めちゃくちゃ楽しかった1年間で、いろいろ自分を見つめ直せた。

 

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そして、復学し就活しながら、取りこぼした必修単位を取り直し、

んで、卒業研究を頑張りつつ無事に北海道大学工学部を卒業。

 

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それから、札幌で旅行会社に就職。

 

ここまでは、すべてが自分の思うようになった。

…と思ってたのだけど…。

 

 

 

 

 

【20代後半をふりかえって】 

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20代後半は、ひとことで「波瀾万丈」がピタリと合うかな。

 

 

26歳の誕生日は、新卒1年目のとき。

就活でご縁があった数社から、いちばんダントツでビビッときた旅行会社。

 

まぁ、自分が選んだ会社に入れたから、すごく嬉しかった。

いま振り返えれば、新卒で入った会社がその会社で良かった。

 

 

 

最初にやった仕事は、一般的に「The 旅行会社」というようなカウンターセールスではなく、

「法人営業」、しかも「行政・官公庁セクション」という部門で、ちょっと異色なお仕事。

 

 

でも、これ自体は楽しかった。

ってか、むしろビジネスに興味があったから、 いろいろと学べることが多くて充実してた。

 

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しかも、最長でも新卒2年で吸収しまくって辞めると決めてたから気がラクだった。

 

 

 

ただ、これが最大の誤算。

体育会系の会社とは聞いていたけど、そのハードルを超えるほどにキツかった。

 

僕も、小学〜中学までは剣道、高校〜大学とボクシングをやってたから、

そこそこ体育会系だし、ほかの人と比較して打たれ強い方だとは自負してた。

 

 

だけど、そこのセクションがなんやかんやでキツかった。

 

仕事内容もそうだし、直属の上司ふたりが真逆で言うこと違いすぎて従い方がわからなかったし。

 

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このうち、片方の上司は元ヤンキーあがり風で情にはあつかったけど、

めちゃくちゃ厳しくて怖かった(週1で泣いてたときあったなぁ…)。

 

 

 

それで、新卒の秋くらいに心療内科に行ったら「うつ」だと。

 

でも、これ声を大にして言いたいんだけど、

「会社のせいにする」つもりは決してない。

 

 

もちろん、それも一因だと思うけども、めちゃくちゃお世話になったし、

本当に人間的に素敵な人も多くて、今でも自分の心の財産になってる。

 

 

 

心の病気だから、なにが原因かなんて今でも考えてもわからないけど、

たぶん「親の病気」「当時の彼女との関係」とかもあったんだな、と。

 

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僕の信条としては、絶対に「人のせい」にはしたくない、というのがあるけど、

おそらく、それは社会人になってから確固たるものになったんだろうな、と。

 

まさに『この世のすべての不利益は当人の能力不足』ですな。

 

 

 

 

 

それでね、うつになって休職してからがドン底でしたね。

 

もうね、常に周りが「グレー」、別に誇張せずに「灰色の世界」になるんです。

 

なにやっても、楽しくない、テンション上がらない。

もうね、生き地獄でしたよ。

 

それでね、「こんな世界なら…」と自殺未遂だってしてますし。

 

 

 

だって、

こんな「灰色の世界」だったら生きてる意味ってあるか?

って考えちゃいますよ。

 

当時の自分は、経験がないのでなおさら。

 

 

 

でも、本当に生きてて良かったと感じますね。

あのとき、たまたま「生」を残されてて良かった、と。

 

あまり、こんな考えをする人でもなかったけども、

「神さまが『まだ生きろ!』と言ってくれてる」

と感じて、「生きる意味」を真剣に考えましたね。

 

 

んで、スタートしたうちのひとつがこのブログ。

最初は、ホントに自分を救うために文章を書いてた形ですね。

 

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ここから見えてきたのが、

とにかく「自分みたいに困っている人の救いになる」のが自分の人生の意義だということ。

 

 

これは、大学時代の「健康」関連の仕事という目標にも通じてくるんだけど、

自分は「どんな形であれ『生きる』手助けをしたい」軸があったんだと思う。

 

 

 

 

 

そんなこんなで半年ほど休職して、「うつ」もだいぶかるくなってきたので、

お医者さんから復職の許可がでて、まずは2時間ほどの時短勤務からスタート。

 

先ほどの、元の「法人営業」の仕事に戻り(途中カウンターセールスの仕事を期間限定でやったり)、

最終的に、新卒2年目の秋に辞めて実家に戻ることにはなるのですが、心から良い経験だったと思います。

 

 

 

そして、このとき付き合って5年になる当時の彼女と別れることになるのですが、

長く住んだ札幌や仕事を無くした僕には、イチからリスタートという意味では、

新しい公平、「シン・コウヘイ」の気持ちだったので、結果オーライでした(笑)。

 

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この時点で、27歳。

新卒の旅行会社を辞めると決めたときから、転職活動をしつつ7年ぶりに神奈川の実家へ。

 

 

いまでも忘れない、12月に実家に帰ってきて母の「おかえり」がどれだけ身に染みたか。

 

母が大病し緊急手術し実家に帰ったので、安心して涙が出たのをものすごく覚えてるなぁ…。

 

 

 

そこから、いまの塾でご縁があり、すごく充実した生活をおくれており、

まさに、「『生きる』を手助けする」という天職じゃないかと感じてる。

 

 

そして、転職してまもなく今の彼女と出会い、プライベートも充実した日々で感謝しかない。

 

 

 

27歳から現在まで公私ともにガムシャラに頑張ってきたけど、

いま思えば、最初こそリハビリって感覚に近かったなぁ。

 

なんていうか、人生のリハビリ。

 

もう全部失って真っ白だったから、なにごとも謙虚にコツコツやっていこう、と。

仕事もそうだし、目の前の人をめちゃくちゃ笑顔にすることもそうだし。

 

 

それが実って、この春にはひとつの校舎を任せていただけることになり、

そして今の彼女とは、今年の秋に結婚を予定していてハッピーすぎる。

 

 

 

生きててよかった。心から。

ここまで関わってくれたすべての人に感謝しかない。

 

だって、じゃないと今の僕というのはつくられていないだろうから。

楽しいこと、悲しいこと、すべて含めて「公平」という存在だから。

 

 

だから、30代はもっと楽しく明るく元気に生きていきたい。

 

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んで、まだまだ成長して充実した人生にするのはもちろんのこと、

周りの人への「生きる手助け」をして明るく笑顔にしていきたい。

 

それこそが、僕のミッション、生きる意味だから。

 

 

 

だから、30代の目標は、

「自身の成長」+「Pay it forward(恩送り)」

 

 

今後も、より一層「人生に全身全霊」で頑張っていくので、

30代に突入した公平も、何卒よろしくお願いしまーす!^ ^

 

 

 

 

公平