時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

言いたいことって、なかなか伝わらないよね。パイ投げ広告から考えた、受信者と発信者のあるべき姿。

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どーも。職場近くの新居が決まりハイテンション、公平です。

 

 

 

早速ですが本日は、

「自分が意図して言ったことは、なかなか伝わりにくい。」という話をしたいと思います。

 

 

 

【物議を醸し出した「わたしは、私」広告】

 

さて、みなさんは以下の広告を目にしたことがありますか?

 

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今年2019年1月1日付けの新聞に載せられた「西武そごう」の広告

 

この広告は、

元旦の朝日新聞と日経新聞に載せられた百貨店大手「西武そごう」さんの広告です。

 

 

広告の主役は女優の安藤サクラさん(NHK連続テレビ小説「まんぷく」で主役)で、

話題の連続テレビ小説ということもあり、おそらくご存知の方も多いかなと思います。

 

www.nhk.or.jp

 

 

 

しかしながら、そんな爽やかな「朝の顔」がクリームまみれになっているこの広告は、

肯定的な意見もありますが、同時に否定的な意見も多く賛否両論ある広告となっています。

 

 

 

 

 

これらの意見に対して、「西武そごう」の広報担当者は以下のように述べています。

 

「誰かを傷つけようといった意図はありません。パイ投げは女性の厳しい現状を、演出上のたとえとして表現しました。安藤さんにはそれらに立ち向かっていく女性を演じていただいています」

 

この広告は年初に相当な議論が巻き起こりましたが、現在も様々な意見が飛び交っています。

  


【西武・そごう】わたしは、私。オリジナルムービー

 

 

 

そこで、このニュースからふと考えたことが「本意ってなかなか相手に伝わらないよなぁ」 ということ。

 

つまり、「自分が考えて発した言葉は第三者に正確に伝わることが少ない」ということです。

特に、今回のようなクリエイティブというか芸術関連の問題ついてはなおさらだと思います。

 

 

 

そんなとき、

意見を伝える側・伝える側は、それぞれどのようなスタンスや考え方でいれば良いのでしょうか?

 

 

【意見の差異がなければ進歩はない】

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年初から議論が巻き起こっている「パイ投げ広告」についてですが、

なぜ「発信者」の意図が「受信者」に伝わらないかを考えてみましょう。

 

 

 

 

 

…これは、実は当然の話で、ひとことで「人それぞれ考え方が違う」からです。

 

 

「なにを当たり前のことを!」というツッコミが入りそうですが、どうぞもうちょいだけ待ってください(笑)。

 

むしろ、この「人それぞれ考え方が違う」ということは、当然だからこそ一歩進んで考える価値があります。

 

 

 

 

 

今回のケースでいうと、パイ投げ広告の中で、

時代の中心に、男も女もない。 わたしは、私に生まれたことを讃えたい。 来るべきなのは、一人ひとりが作る、 「私の時代」だ。 そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。 

という言葉を「西武そごう」さんは書いています。

 

 

 

しかしながら、それを見る大多数の受信者の中には「どうしても文字通り解釈できないよ!」という方もいて、

結果的に、「女性へのいじめじゃないか!」というように真逆に捉えられてしまった、というわけなのです。

 

 

これは、先ほども言ったように「考え方の違い」から生まれるものですが、

言い換えれば、この論争は人それぞれ考え方が異なってなければ生まれてこなかったとも言えます。

 

 

 

つまり、不快に感じた方も一瞬立ち止まって考えれば、発信者の真意というものが理解できるようになる可能性があるのです。

 

そのため、受信者の何万、いや何億とおりもある解釈の数だけ互いの価値観を認め合える確率が高まっていくといえます。

 

 

 

 

 

では、逆に発信者はどのようなスタンスで自分の意見を世に広めれば良いのでしょうか?

 

それは、「言葉のもつ力を過小評価しないこと」です。

 

 

 

 

 

言語学には、「1. シニフィアン」「2. シニフィエ」という言葉があります。

 

     
  • シニフィアン→意味しているもの、表しているもの
  • シニフィエ→意味されているもの、表されているもの

  

具体的に一例あげてみると、「世界(せかい)」と言う「文字の形や音の響き」が「1. シニフィアン」で、

そこからイメージした「世界地図」だとか「世界中の人々の顔」とかいった「世界の概念」が「2. シニフィエ」です。

 

 

 

言葉を受け取る人はそれぞれ認知が違うため「シニフィアン」と「シニフィエ」にズレが生じ、

結果として今回のような「発信の意図が伝わらない」ということが起きてしまいます。

 

 

そのため、「言葉の力の偉大さ」というか「言葉の選択の重要性」みたいなものがいっそう重要になってくるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

ということで、受信者と発信者それぞれについてどうするのが良いのかという話をしてきましたが、

なにも「言いたいことが伝わらないこと」をマイナスに捉える必要性はまったくないのです。

 

なぜなら、意見の差異がなければ社会は進歩するはずがないからです。

 

 

 

ですので、「あ〜伝えたいことが伝わらないなぁ…」と考えている方がいらっしゃったら、

「考え方の違いは認め合いの第一歩」と思い、ぜひ前向きに捉えてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平