どーも。新居に引越してきて自宅近辺の探索に勤しんでおります、公平です。
今日は、長い歴史の中で侃侃諤諤と意見が交わされてきたテーマでもあります、
「自由意志」と「運命決定」について、ツラツラと考えを述べていきます。
【自由意志があるがゆえ、人間は尊い。】
これまでの長い歴史の中で、様々な哲学者や科学者が議論を重ねてきた議題が、
「自由意志」vs「決定論」
という問題提起です。
様々な複雑な議論があるのですが、ここではザックリと、
キリスト教をベースにした「神」の概念と対立する考えとしての「自由意志」について考えたいと思います。
これは、簡単に言うと、神が定めた運命のとおり人は生きている、という考え方に、
「いやいや、自分の人生が予め定まっているなんておかしい!」
「自分の考えたように、好きなように、人生は送ることができる!」
と、自由意志を主張するような風潮が出てきたことを発端としています。
これに時代が進むと、近代科学をベースにした「脳」「心」の議題が提起されたり、
仏教の「空」「縁起」を土台にした、近代の物理的思考をミックスした思想が出てきます。
逆に、時代を遡ると、老荘思想の「無為自然」(=運命に抗わない生き方)のような、
自然法則にしたがうという運命論の考えが、幅を利かせていた時代が長く存在していました。
でも、ここでは、哲学的な考察みたいに深入りするつもりは毛頭なく、 細かい話は専門書にお任せいたしますので、あしからず(笑)。
そのため、ホントに大まかに、人間の尊厳は「自由意志」にあるという時代に流れてきた、と考えてみてください。
では、そこで、一つ質問してみましょう。
あなたは「自由意志」というものが存在すると思いますか?
「自由意志」とは、文字どおり、自分の考えで物事を決め、第三者の意志に依るものではないということです。
ぜひ、少し時間を取ってみて、あらゆる角度で考えてみてください。
…さて、自分なりの答えは出せましたでしょうか?
気になる答えですが…実は、答えはありません(笑)。
あえて言えば、ご自身の答えが正解です。
僕の場合の答えを言うと、「自由意志はある」と思います。
だって、今この問いの答えを考えている瞬間って、間違いなく自由に思考してるじゃないですか!
それが、予め定まっているなんて言われれば、その通りなんでしょうけど、
この「自由意志」があるが故に、自分は人間として生まれてきたんだなぁ、と実感します。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」ではないですが、
何か物事を考えている瞬間こそが、命の煌きがあると感じてしまいます。
でも、あくまで一つの考えなので、自分で考えた答えが自分の正解だということをお忘れなく。
ちなみに、「自由意志」を肯定する、「自由意志」があると思わせてくれる言葉として、
大好きなアニメの一つ『PSYCHO-PASS(サイコパス)』に、以下のような言葉があります。
僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。だが己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、はたして価値はあるんだろうか? ー 槙島聖護
『PSYCHO-PASS(サイコパス)』とは、100年後の東京にて「シビュラシステム」と呼ばれるシステムを描いたアニメです。
この「シビュラシステム」が、人々が幸福な生活を送れるよう支援するシステムとして社会に根付き、
人々は、理想的な人生を送るべく、心理状態や性格傾向を数値化した「PSYCHO-PASS(サイコパス)」を幸福の指標としている背景があります。
ちなみに、シビュラシステムの「シビュラ」は、古代のアポロンの信託を伝える巫女のことで、
シビュラの言いなりになって生きている人たちの、まさに「自由意志」を問うような深いアニメです。
そういったわけで、「自由意志」は間違いなく存在する、と個人的に考えているのです。
【自分の力ではどうすることもできない、避けられない宿命もある。】
先ほど述べてたおり、ほぼ間違いなく「自由意志」はあります。
ただ、それが世の中に100%満たされているかというと、それは少し疑問が残ります。
やはり、
自分の力や意志どうこうで、変えられるものと変えられないものがあるんですね。
それは例えば、死や老い、また病気だったり、人間の苦しみと言われるようなものです。
もちろん、中村天風さんのような、大病にかかりながらも気の持ちようで治した、というような実例があるので、
一概に「自由意志ではなく運命に身を任せる」のが良い、ということは言い切ることはできません。
しかし、生きていれば、ふと「これが自分の宿命だったんだな…」と、諦めに近い感覚を感じたことも多いかと思います。
「神様が振るサイコロに結果を任せてみよう」と。
そう考えると、過去の人々の多くがキリスト教をはじめとする宗教を信じるようになり、
逆に、信心深くない人が罰せられたというような、今では「?」な時代背景も納得できますね。
時が過ぎ、今では信教の自由があるため、信じるも信じないも自由な世の中になりましたが、
やはり、避けられない宿命が存在することが否めないのは、今も昔も変わらないと思います。
だからこそ、昔から「自然に身を任せる」だとか「人生は神の決定」だとかいう考えが長く続いてきて、
「運命には抗うな」という考え方が、現在まで脈々と受け継がれているのではないでしょうか。
【自由意志と運命論の狭間で生きるということ】
これまで、「自由意志」と「運命決定」について、浅くですが考えてみました。
実際、これ以上に深入りしてしまうと、専門領域に入ってしまい学術的な話になってきてしまうので、
今回は、本当にアウトラインくらいに留め、この議題についてのみ深く考えることが重要だと考えています。
もっと、いろいろ考える手助けをするものを知りたいという方は、哲学や科学の本などを読んでみることをオススメします。
例えば、以下のようなキーワードは、知見をさらに深めてくれると思います。
- 自由肯定主義(リバタリアン主義)
- 脳科学/量子力学
- 心身二元論/物心二元論
- ストア派(エピクロス)
- 老荘思想(自然法則)
- ニーチェ(運命愛、永劫回帰)
- 機械的決定論(デカルト、スピノザ)
- 心理的決定論(ヒューム、カント)
- アウグスティヌス
- ルター/カルヴァン
- 両立主義
この「自由意志」と「運命決定」について考えることは、自分という存在を知る良い機会だと思いますので、
過去の出来事を見つめ直して、じっくりと考えてみると面白いかと思います。
では最後に、坂本龍馬のこんな言葉をご紹介したいと思います。
「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」と、竜馬はその語録を手帳に書きとめ、自戒の言葉にしている。「世に生を得るは、事をなすにあり」と、竜馬は人生の意義をそのように截断しきっていた。どうせは死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまたまその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬというのが、竜馬の持論であった。竜馬は、日中、町をいそぎ足であるいてゆく。そのとき瞬間も死を思わない。「そのように自分を躾けている」竜馬は、つねづねいった。
(引用:『竜馬がゆく(8)』より)
これは、僕の好きな歴史小説である『竜馬がゆく』の一節です。
詳細については、ぜひぜひ、以下の記事をご参照ください。
【保存版】本1000冊読んだ公平が厳選する!高校生〜大学生のうちに読んでおきたい35冊!(時々、まわりみち。)
龍馬の「世に生を得るは、事をなすにあり」という言葉のとおり、
物語の中で、自由意志をフル活用して大志に向かって奮闘する様子が描かれています。
しかし、そんな龍馬も、事を成す道筋の中で、自分の意志では何ともできないことがあることを悟ります。
それが、物語の中で幾度も出てくる「天命」という言葉です。
まさに、
坂本龍馬こそが「人事を尽くして天命を待つ」を体現した人物
なのです。
「自由意志」と「運命決定」については、歴史が表しているとおり、非常に難しいテーマです。
それぞれの分野における天才が、難しい議論をぶつけ合い続けてきたため、
そもそも正解というのはなく、どの考えが正しいなんてことは言い切ることはできません。
しかし、
自由意志と運命論の狭間で生きることが居心地の良い人生
かなぁと、個人的に思っています。
何か一つの絶対的な答えを持って生きることは、たしかに揺るぎない信念があるように思えますが、
これでは凝り固まった考えがさらに固まってしまい、いずれは行き止まりに辿り着く気がします。
上で見てきたような、自由意志を尊重する考え方、運命決定を尊重する考え方、どちらも魅力的であり、
多くの偉人たちの叡智を結集させた思考は、どれも崇高で非常に貴重な知恵です。
そのため、僕なりの結論を出すとすれば、
「ベースは自由意志、そして時々、運命論。」
です。
これは、やはり学生時代に勉強した、脳科学や量子力学のような自然科学の影響が強いのかな、と感じています。
先ほどの「人事を尽くして天命を待つ」にも相当な影響を受けているため、この考え方も色濃く出ていますね(笑)。
そして、この考えをギュッと自分なりに凝縮した理想への架け橋が「無意識の意識」という言葉。
これに成功したときが、「自由意志で生き、いずれは宿命に従うもの」だと気付く瞬間であると確信しています。
まだまだ自分には遠い道のりですが、この海に沈んでいる大半の氷山について意識することができれば、
というか、世界中の人たちが気付くことができれば、自然と「自由意志」と「宿命」のバランスを見出せ、
さらには、戦争や差別のない平和な世界に一歩でも近づくことができるんじゃないかなぁ、なんて思っています。
この結論に至るまでの、哲学的考察や科学的根拠は端折っていますが、
また機会があれば、改めて詳しく書ければなぁと考えています。
ただ、ここではあくまで、各々の考えを考察し議論するということではなく、
「生きるヒント」を掴むための記事として書いていますので、何か少しでも拾っていただけたら幸いです。
みなさんも、ぜひ 「自由意志」を活用しながらも、「運命」に身を任せるような、
〔人事を尽くして天命を待つ〕流の生き方を、ご自身の生活に取り入れてみてはいかがでしょうか?
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平