時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

行雲流水、上善は水の如し。生命の源、柔弱な「水」のように生きる。

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どーも。本日で丸々1ヶ月間、毎日記事を更新することができた達成感で胸がいっぱい、公平です。

 

 

 

 

 

さて、早速ですが、みなさんは「水」について、どのような印象をお持ちでしょうか?

 

「別に何とも思わない!」というような回答が大半かなぁ、と思います(笑)。

 

 

 

昔から、たびたび思っていました。なんか、「水」って見てると落ち着くなぁ、と。

 

「川っていいなぁ…」

「海っていいなぁ…」

「雨っていいなぁ…」

「雪っていいなぁ…」

 

 

 

そんなことを思いつつ、自分の「水」好きを意識したのが大学3年生の時、

今でも自分の愛読書の一冊である『老子』という本と出逢った時です。

 

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)

 

 

 

 

「上善は水の如し」という一節に触れ、「水のように生きたい!」と思ったことがキッカケでした。

 

 

 

常にそばにあるのに意外と深く考えたことのない「水」…実は人生について教えてくれる、

というか、「水」には生き方の本質が詰まっていると言っても過言ではない、と考えています。

 

 

 

そんな本日、「水のように生きる」ということについて、原点に戻り考えてみたいと思います。

 

 

 

【目次】

 

 

 

【「水」のように生きた方が良い5つの理由】

1:高い所から低い所に向かって流れる

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当たり前のことですが、水は重力に逆らいません。

すなわち、自然の摂理に抗わない、ということです。

 

高いところに蓄えられていた水が、徐々に山の壁面を下っていき、いずれ大きな海原まで辿り着くのです。

 

 

ここから、人の生き方に当てはめて考えてみれば、

宿命に逆らうな、というように解釈できます。

 

 

もちろん、自らの努力で変えられる余地があれば、最高の努力をして運命を変えていけます。

しかし、自然の掟と言われるような宿命に関しては、ジタバタして抵抗しても意味がありません。

 

 

 

そんな、水の流れに身を任せる生き方が、今の日本には必要なのではないでしょうか?

 

 

2:多種多様に形を変える

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水というのは、いろいろな形に姿を変化します。

 

例えば、丸い容器に入れれば丸に、四角い容器に入れれば四角く形を変えます。

他にも、沸騰すれば水蒸気に、氷点下になれば凍ります。

 

 

そんな水から学べることは、常に「柔」であれ、ということだと思います。

 

 

今の世の中、自分の考えが絶対という人があまりにも多いと感じています。

そんな人たちは、丸い容器に入れようと試みても、自分が四角くカドが当たって入らないのです。

 

 

誰でも経験はあると思いますが、それぞれのコミュニティによって自分も姿を少しずつ変え適応させますよね。

 

でも、本質は「水」と同じで「自分」なはずです。

 

 

このような、水の持つ柔軟性は人生で大切なことを教えてくれている気がします。

 

 

3:異物が入り放置し続けると腐る 

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水は腐らないはずなのに、「水が腐っている」ような状態を目にしたことのある方も多いかと思います。

それは、水に溶け込んだ異物が腐っていたり、周囲の衛生状況によってカビなどが発生しているために腐ってしまっているのです。

 

つまり、水自体ではなく水以外の「何か」が変化を起こしているのです。

 

 

これは、人に置き換えてみても同じです。

自分の中に異なるものが入ってきたら、拒否反応を示します。

 

しかし、「異物」を入れ放置しておくのではなく醸成させれば良いのです。

言い換えれば、「異物」と認識したものの一部を血肉化せよ、ということです。

 

 

それでも、拒否反応が出たら捨てて新しい水を入れれば良いですし、

「これは合いそうだな」と感じれば「自分の水」とすれば良いのです。

 

 

そしていずれは、自分の「オリジナルウォーター」を作成してみると、

水のように生きた甲斐あった、と感じることができるでしょう。

 

 

4:大きな力を発揮する

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水は、ごくごく微量だとホントに弱々しくチッポケな存在です。

 

しかし、たくさん集まれば世界の表面積の7割を占める海にもなり得るのです。

 

さらに言えば、わずか一滴の水がピチャピチャと石の上に落ち続けていたら、

何年後かには石に穴が開いていたということもあります。

 

これが、俗に言う「雨垂れ石を穿つ」ですね。

 

 

なので、ここから学べる教訓は、

わずかな水もバカにしてはいけない

ということです。

 

 

たった一人の小さな「自分」という存在が、仲間と協力することで目標を達成することができたり、

自分一人のチッポケな努力も、時を重ねれば大きな結果を得ることができることだってあるわけです。

 

 

そんな人生訓を、常に身近にあり続けてきた水が教えてくれると考えると、

「大切なものは目に見えないんだなぁ」と感じますね。

 

 

5:あらゆる生命の源

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水は、生きとし生けるものが生きるために必要不可欠なもの、いわゆる「生命の源」ですね。

 

 

一般的に、人間の体の60%以上は水分でできていると言われています。

 

人は何も食べなくても水だけで1ヶ月弱は生きることができるそうですが、

水を飲まなかったら、数日で死んでしまうそうです。

 

 

それくらい生命の維持にとって大切な水から学べるのは、

生命を潤すことが非常に大切である、ということです。

 

つまり、

自分の使命は何かを考え実行することで、他の人の命を救う存在になれ

ということです。

 

 

私たちが水に生かされている分、それを何か別な形で恩返しをしないといけません。

 

水のように生命を潤す存在になることができたら、自分の心を潤すことができます。

それと同時に、必ずや世界中の人々を癒し世界平和を導くことができるでしょう。

 

 

そんな、「生命の源」たる存在になりたいものですね。

  

 

 

【上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず。】

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いかがでしたでしょうか?

 

このように、「水」のような生き方は人生のヒントがいっぱい詰まっていることが分かりますね。

 

 

 

 

 

最後に、冒頭でもちょこっとお伝えした『老子』について、

いかに以後の偉大な歴史上の人物に影響を与えたのか 

ということについてお話したいと思います。

 

世界最高の人生哲学 老子

世界最高の人生哲学 老子

 

 

 

  

 

 

まず、「上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず。」という言葉は、『老子』の第八章に書かれています。

 

最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみな厭(いや)だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。 身の置きどころは低いところが良く、心の持ち方は静かで深いのがよく、人とのつき合い方は思いやりを持つのがよく、言葉は信(まこと)であるのがよく、政治はよく治るのがよく、ものごとは成りゆきに任せるのがよく、言葉は時宜にかなっているのがよい。 そもそも争わないから、だから尤(とが)められることもない。 ー『老子(第八章)』より

〔原文〕 「上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。」

〔書き下し文〕「上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。 居(きょ)は地を善(よ)しとし、心は淵(ふち)を善しとし、与(まじわ)るは仁を善しとし、言(げん)は信を善しとし、正(せい)は治(ち)を善しとし、事(こと)は能(のう)を善しとし、動(どう)は時(じ)を善しとす。 夫(そ)れ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)無し。」

 

 

 

老子は、この章において、

個人においても集団においても「水のように生きなさい。」

と教えてくれています。

 

つまり、「一見すると弱く見える水が実は最強なんだよ」と言ってくれているわけですね。

 

 

 

 

 

実は、この考えは、日本の偉大な歴史上の人物にも影響を与えています。

 

 

 

例えば、僕が尊敬してやまない「坂本龍馬」

 

龍馬は、その若い晩年に使っていた号として「自然堂」と書いたり、

下関の龍馬とおりょうの住まいを「自然堂」を称していた、と残された資料にあります。

 

 

ここで言う「自然」とは、

万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論

のことです。

 

読み進めていくと、どうやら龍馬は『老子』の生き方に憧れていたみたいです。

 

 

 

他にも、詳細について知りたいという方は、

『老子』の他、僕のもう一冊の愛読書である『竜馬がゆく』をご参照ください!

 

合本 竜馬がゆく(一)-(八)【文春e-Books】

合本 竜馬がゆく(一)-(八)【文春e-Books】

 

 

 

 

この『竜馬がゆく』は、かの孫正義さんも愛読書としている一冊です。

 

その他、もっといろいろな本を知りたいという方は、

ぜひ、過去の記事も合わせて見ていただければ幸いです。

↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

坂本龍馬だけではなく、他にも戦国時代、豊臣秀吉の知恵袋といわれた黒田官兵衛(黒田如水)も影響を受けたと言われています。

 

 

その証拠として、彼の教えである「水五訓」という言葉を残しています。

  

  • 自ら活動して他を動かしむるは水なり
  • 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  • 障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  • 自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
  • 洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり
    〔解釈〕
  • 自ら動いて模範を示すことによって、周囲を牽引せよ。
  • たとえ物事を進める上で障害や壁があったとしても、苦しい時もじっと耐えて努力し続けていくことが自分の力となっていく。
  • 流れを止めることなく、自分が決めた道は迷い止まることなく進んでいきなさい。
  • 嫌いな人でも嫌悪せず、その人を追いやったりせずに、良いところを見つけ共存していきなさい。
  • 与えられた環境の中で、柔軟に変化し成長していきなさい(温度によって蒸気となったり、雲や雨、雪やあられに変化しても、容器を変えれば形を変える)。だけど、水の性質は失われない。

 

 

 

戦国の世を生きた人も、『老子』の生き方に影響を受けていたんですね。

 

ちなみに、この黒田官兵衛は、『老子』の教えを守ろうと、後に名前も「如水円清」に改めました。

 

 

 

 

 

 

 

昔ではなく、直近で言うと、ブルース・リーもこんな名言を残しています。

「心を空にするんだ。形を捨てて。水のように。水はカップに入れたら、カップに、瓶に入れたら、瓶に、 ティーポットに入れたら、ティーポットになる。水は絶え間なく流れ、激流にもなる。水になるんだ。友よ。」

 

 

果たして、ブルース・リーが『老子』の影響を受けていたのかどうかは定かではありませんが、

「水のように生きる」ことを実践していた一人であることは間違いなさそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

では、これらを踏まえた上で、僕がモットーとしている言葉があります。それが、

「行雲流水」 ー『禅語』

と言う言葉です。

 

 

 

意味は、

空をゆく雲と川を流れる水のように、決まった形がなく、執着することなく物に応じ、自然に変化し、平静な心で自然のままに生きる。

という意味です。

 

 

 

 

 

この言葉に辿り着いたのは、僕の尊敬している、会社の、

当時所属していたリーダーと直接お話させていただいた時がキッカケです。

 

 

僕が「水のように生きたい」という旨を伝えると、しばらくリーダーは考えて、

後日、「俺は雲のように生きたい。」とわざわざ感想を伝えてくださったんです。

 

 

 

ここから、思ったことが、「水のように流れる」ことをベースにしながらも、

「雲のように飄々と人生を行く」ことができれば最強なんじゃないかと。

 

もともと、雲も水でできていますもんね。

 

 

 

その生き方には、まだまだ到達できていませんが、いずれにせよ土台となるのは「水」

生きづらさを感じている人は、ぜひ「水のように生きる」こと、実践してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平