時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

「物事には必ず入口と出口がなくてはならない」という話。

f:id:kohei_nagura:20190905171301j:plain

  

どーも。仮歯が入り無事に1週間ぶりに職務に復帰、公平(@kohei_nagura)です。

(この「仮歯」の件についてキニナルという方は…以下の記事をチェック!笑)

 

  

 

 

さて唐突ではございますが、本日は

「あらゆる物事には『入口』と『出口』が必要」というテーマでお話ししたいと思います。

 

 

 

【目次】

 

 

 

【「入口」と「出口」の重要性】

 

まず早速ですが、なぜ今回「入口」と「出口」について話そうかと思ったのかというとですね、

自宅療養中にネットサーフィンをしていると、ある言葉が最近フッと目に入り込んできたからです。

 

 

その言葉というのが…『口は命の入口、心の出口』という言葉。

 

 

  

みなさまご存知のとおり(笑)、僕は先週の自転車事故で口周りを中心にケガをしてしまいました。

 

www.life-travel-consultant.com

  

 

そんな折、頭の中のフィルターが「口!」「ケガ!」という言葉を拾ってしまうようにできていたので、

おそらく無意識のうちに『口は命の入口、心の出口』という一文が目に飛び込んでしまったのでしょう。

 

 

 

人は栄養を摂取するために口からモノを食べ、人と話し言葉を発することにより人生を生きます。

 

…と考えると、

口は「命をつくるための入口」でもあり「心と心をつなぐための出口」ともなる

という考えに「おぉ〜!」と感心してしまったのです。

 

なんとも「口」=「入る『口』」+「出る『口』」でもあるというのは上手いモンだなぁ、と。

 

 

 

 

 

そして、この「口は入口であり、同時に出口でもある。」という言葉に感嘆するなか、

療養中に本を読んだりして過ごし、以下の一節に非常に「ピーン!」ときたのです。

 

入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。郵便ポスト、電気掃除機、動物園、ソース差し。もちろんそうでないものもある。例えば鼠取り。アパートの流し台の下に鼠取りを仕掛けたことがある。

(中略)

つかまえてはみたものの、どうしたものか僕にはわからなかった。後足を針金にはさんだまま、鼠は四日めの朝に死んでいた。彼の姿は僕にひとつの教訓を残してくれた。

物事には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。

  

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 

 

 

なるほどな。

『物事には必ず入口と出口がなくてはならない』のかと。

 

 

 

 

 

そのほか、僕の好きな村上春樹さんの小説では「入口」と「出口」についての重要性を語っています。

 

僕の部屋には二つドアがついている。一つが入り口で、一つが出口だ。互換性はない。入り口からは出られないし、出口からは入れない。それは決まっているのだ。人々は入り口から入ってきて、出口から出ていく。いろんな入り方があり、いろんな出方がある。しかしいずれにせよ、みんな出ていく。あるものは新しい可能性を試すために出ていったし、あるものは時間を節約するために出ていった。あるものは死んだ。残った人間は一人もいない。部屋の中には誰もいない。僕がいるだけだ。そして僕は彼らの不在をいつも認識している。去っていった人々を。彼らの口にした言葉や、彼らの息づかいや、彼らの口ずさんだ唄が、部屋のあちこちの隅に塵のように漂っているのが見える。

 

ダンス・ダンス・ダンス

ダンス・ダンス・ダンス

 

 

ふむふむ。

自分という部屋には二つドアがついていて、一つは入口一つは出口

 

 

 

ここでは「自分」という例で語られていますが、まぁ考えてみれば、

入るだけ入っておいて出ることがないなんていう状況はごくごくまれなシチュエーションですよね。

 

これでは、ひとつの空間で滞ってしまうことになり、常に物事は変わり続けるものだという原則に反します。

 

 

まさに、「この世の中に永遠に変わらないものなんてないんだ」という『万物流転』の境地ですね(笑)。

 

mainichigahakken.net

 

 

 

では、この「入口」と「出口」は万物において超必要事項だということについて、

学生時代に嫌いな人も多かったであろう「あの教科」を例にお話してみます。 

 

 

 

【関数 y=f(x) だって入口と出口ありき!】

f:id:kohei_nagura:20190905171246j:plain


 

はい、きました。

数学でつまずくランキング第1位の「関数」

 

しかも y=f(x) なんていう書き方をされた日にゃあ、ほとんど戦意喪失マンになりますよね。

 

 

 

ただですね、数学が嫌いだけど大学で理系を専攻していた僕からするとですね(笑)、

「関数:y=f(x)」というのは「入口・出口」を考える例としてはメチャクチャわかりやすい んじゃないかと思ったワケです。

 

 

というのも、まずは下の絵を見てもらった方が「ほぅ〜」となるのではないかと思います。 

f:id:kohei_nagura:20190905171507p:plain


 

 

つまりですね、「関数:y=f(x)」というのは、

「数字がxという入口から入ってyという出口から数字が出ていっている」というだけなのです。

 

そして「fという空間(ちいちゃな機械と考えるとわかりやすいです!)」でガチャンガチャンとやられて、別の形として数字が出てくるというだけなのです。

 

 

 

人々は入り口から入ってきて、出口から出ていく。いろんな入り方があり、いろんな出方がある。しかしいずれにせよ、みんな出ていく。あるものは新しい可能性を試すために出ていったし、あるものは時間を節約するために出ていった。あるものは死んだ。

  

先ほどの『ダンス・ダンス・ダンス』の文章でも触れましたが、「関数:y=f(x)」の例からもわかるように、

いろんな入口(=数字「x」)があり、いろんな出口(=数字「y」)がある のです。

 

 

  

【出ていくための扉、これこそが人生のカギ。】

f:id:kohei_nagura:20190905171218j:plain

 

では、ここまでの話で、

あらゆる物事には「入口」と「出口」がないといけない

ということは、なんとなくわかっていただけたのではないかと思います。

 

 

 

では、「『入口』と『出口』どちらも意識して生活するのシンドイよ〜」という方に朗報。

まずは「出口:Exit」を考えて生活なさい。

 

 

…というのも、人は「第一印象でその人のイメージは9割決まる!」と言わんばかりに、

まず人間は「最初の印象(=入口)」は力を入れるようにプログラムされているからです。

  

第一印象の科学――なぜヒトは顔に惑わされてしまうのか?

第一印象の科学――なぜヒトは顔に惑わされてしまうのか?

 
好き嫌いの9割は最初の「挨拶」で決まる―相手に好印象を与えるひと言
 

 

どうやら、「そりゃ『入口』があるのは当たり前っしょ!」ということは直感でわかるものなのです。

 

 

 

しかしながら悲しいことに、

「出口」というのは改めて意識しようとしないと忘れてしまうのが人間の性 なのです。

 

 

 

 

 

たとえば、いつも目を見てめっちゃ元気よく挨拶をしてくれて笑顔でハキハキと話し、そして面白くコミュ力も嫉妬するくらい高い…

そんな人は異性からも同性からもモテモテでしょうし、さらには就活などの面接のときなども企業が「即採用!」というくらい引く手あまたの人材です。

 

 

 

ですが、これが別れ際に手のひら返したような最悪マンだと考えてみてください。

 

 

友達だったら「なんだよアイツ!」なんてこともあるでしょうし、

異性だったら「まじ最悪!」となって今までの思い出がグルンとひっくり返っちゃいますよね。

 

そして仕事関連だったら「なんであんな人材採用しちゃったんだよ〜!」と人事部も涙目ですよね(笑)。

 

 

 

つまりは、「第一印象(=入口)」もよく「最後の印象(=出口)」もよくなければならないということですね。

 

俗にいう、「終わりよければ、すべてよし。」ってことです。

 

終わりよければすべてよし (NHKシェークスピア劇場)

終わりよければすべてよし (NHKシェークスピア劇場)

 

 

  

こう考えると「『入口』だけあって『出口』がない」人間が割と多いことに気がつきます。

「出ていくための扉、これこそが人生のカギ。」だということです。

 

 

 

「あらゆるものが『入口』と『出口』がある」と言われても、なかなか「ピン!」と来ないかもしれませんが、

まずは『出口:Exit』を意識して少しずつ『入口:Enterance』からの空気の存在を考える生活をしてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平