どーも。ここ数日、毎日コーヒーを片手に読書にて自分磨き継続中、公平です。
さて、前回の記事では、
「権力(power)こそ若者の人生離れを加速させている」ということをお話しました。
lifetravelconsultant.hatenablog.jp
本日は、その内容を少し掘り下げて、
ハラスメント(嫌がらせや相手を不快にさせる行動)について考えていきます。
【目次】
- 【さまざまなハラスメント問題が明るみに出てきた】
- 【嫌がらせや相手を不快にさせる行動を取る人は、本当に相手の立場で人の気持ちを考えたことがあるのか?】
- 【結局は、受け手がどう感じるかがすべて。不快に感じたら、自分の思いの丈を堂々と主張せよ!】
【さまざまなハラスメント問題が明るみに出てきた】
まず、今回のテーマであるハラスメントとは、
『ハラスメント=嫌がらせや相手を不快にさせる行動』です。
もともとハラスメントは、1980年代後半くらいから始まった「セクハラ」という言葉が発端とも言われていますが、
どんどん時代が変化してくるに伴って、今ではハラスメントには数十種類も細かく種類分けされて存在しているとのことです。
さて、これまでもお伝えしてきた話ではありますが、僕は、
「無意識に権力をふりかざし何事も押しつけてくる人」というのが大嫌いです。
相手に対して、無意識に自分の考えを押し付けている人。いい加減、気付いてください。【時々、まわりみち。】
前回の記事では、そんな「権力者」の身勝手な振舞いにより数々の輝かしい若い芽が摘まれていているという現状、
および本内容をふまえて上で、今後どのような対処をしていけばよいかという考えを述べさせていただきました。
今後の日本、いや世界を創っていくのは今の若い方々なのです。それなのに、自ら命を捨ててしまうのを見るのは本当に傷つきますし居たたまれません。なので、「カネ」や「地位」に振り回される身勝手な大人が少しでも減り「自分に優しくしてあげる」大切さを教えあげられる大人がひとりでも増える世の中になれば、若年自殺に歯止めがかかってくるはずです。人生一度きり。尊い自分の命を大切に素敵な人生を過ごしていきましょう。
(引用:若者を絶望の淵に追い込み、人生離れを加速させているものは何?身勝手に振り回される権力によって、未来ある若者の自殺を引き起こす日本の現状。【時々、まわりみち。】より)
これまでは、そのようなハラスメントの問題を目にする度に怒りを感じてきましたが、最近少し嬉しく感じているのが、
セクハラにせよパワハラにせよハラスメント問題が主張しやすい世の中になりつつある、ということです。
たとえば、これまでツイッターから始まって盛んにニュースで取り上げられている『#MeToo(私も)』運動。
TwitterやInstagramなどのSNSで「#MeToo」というハッシュタグをつけることで、
性的嫌がらせなどの被害体験を主張・拡散でき、セクハラ告発の活動として全世界的に広がっている運動です。
もともとは、2017年10月にアメリカのハリウッドの映画プロデューサーによるセクハラ疑惑が報じられたことが始まりで、
この報道に女優のアリッサ・ミラノさんが同じようなセクハラ被害を受けた女性たちに向けて”me too”と声を上げるようTwitterで呼びかけたことに起因するそうです。
このような、
ハラスメント問題を人の目を気にせず主張できる世の中になってきていることは非常に喜ばしい限りです。
【嫌がらせや相手を不快にさせる行動を取る人は、本当に相手の立場で人の気持ちを考えたことがあるのか?】
では、このハラスメント問題が減っていかない理由ってなんなのでしょうか?
これは、意外と簡単な話で、人の嫌なことをしている人が意識せずに人に嫌がらせしているからです。
つまり、難しい言葉で言えば「加害者と被害者の考え方の乖離」ですね。
たとえば、職場で上司がネチネチと部下に対し叱責するような場面を考えてみると分かりやすいでしょう。
上司からしたら、「部下を成長させるために叱責しているんだ!何が悪い!」という考えで行っているのでしょうが、
被害者である部下からしたら、「そんな言うことでもないだろう…」と言いたいことも言えず、たまったもんじゃありません。
たしかに、昔であればこのような体育会系な主張がまかりとおっていたのでしょうが、
今は確実に違う時代に動いているので、このような昔は当然だと考えられていた主張は立ち止まって考えて言うべきです。
もちろん、本人がこのような考えで生きてきたことは全く否定しません。
むしろ、自分とは違う考えでタメになることも多いです。
しかしながら、
権力を利用することで相手の立場に身を置かず人の気持ちを考えようとしないことが非常に腹立たしいです。
被害者が苦しんでいるのなら、実際に被害を被っているわけですから、
そこは、保身うんぬんという御託を述べるより謝罪し誠意を見せることです。
これが、
変なプライドや自分勝手な考えが正しい行動を邪魔してしまい、加害者は被害者の考え方に寄り添うことができないで終わってしまう
というのが問題だということです。
【結局は、受け手がどう感じるかがすべて。不快に感じたら、自分の思いの丈を堂々と主張せよ!】
ここまで、権力者が引き起こすハラスメントについて考えてきました。
ここで、ひとつだけ注意点ですが、
必ずしも加害者が100%悪くない場合もあるということがあることを忘れないでください。
先ほど述べたように、あくまで「加害者と被害者の考え方の乖離」からスタートする問題ですので、
加害者は加害者なりの言い分もあり被害者にも原因があるということは、少なからずケースとして存在します。
ただ最も大事なことは、「被害者が実際に心に傷が付いたという事実」です。
これだけは、「人それぞれの解釈によりけりだよね」なんて問題ではなく、その事実こそが唯一の正しいものです。
世の中に絶対はないといえども、「被害を受けた事実」というのが意外と見落としがちな絶対的な点です。
だから、時代が進んでハラスメント問題が明るみに出てくるようになっても減少につながっていかないのです。
この点、非常に感銘を受けた記事がありましたので、以下ご紹介したいと思います。
自分の経験談を振り返ってみましたが、改めて思うのは、セクハラもパワハラもいじめも、成立するか否かは、被害者側が決めるべきだということです。どう考えても、ハラスメントだというものもありますが、グレーなものも多いです。事例を並べてみたところで、ケースバイケース。客観的に見てひどいことをされているからハラスメントに該当する、逆に客観的に見てそこまでひどくないからハラスメントには該当しない、というものではありません。客観的にどうこうではなく、決めるのは被害者。された相手(被害者)が不快だ!ハラスメントだ!と感じれば、それはハラスメントなのです。
(引用:セクハラもパワハラもいじめも…成立の決め手は『被害者が嫌な気持ちになるかどうか』(あやぞぅの人生楽園化計画)。より)
実際、僕自身もハラスメントを受け人生に影響が出るくらい被害を受けたことがあります。
そんな同じような被害を受け苦しんでいる方に伝えたいこと、それが…勇気を出して自分の思いをぶつけること。
もちろん、その「加害者本人に」ではなく、「自分の味方をしてくれる方に」です。
別に、「加害者」に寄り添う努力などしなくていいです。
だから、現実問題として被害を受けているわけですから。
…でもですね、人間みんながみんな自分に害を与える存在ではなく、
自分の味方をしてくれる存在は必ずいるはずです。
誰だって、人に支えられながら育って生きてきたのです。
被害を受けていると、周りをダークに包む色メガネで世の中を見てしまいがちですが、そこは勇気を出してメガネを外して見てください。
そうすれば、必ず自分の思いを主張することができ道は拓け始めます。
結局は、被害を受けているあなたが感じたことがすべてなのです。
自分の人生を自分で決めるためにも、思いを堂々と主張する勇気を持ちましょう!
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平