どーも。もうあと1週間ほどで2019年が終わることに衝撃を受けています、公平(@kohei_nagura)です。
いよいよ本日、12/24クリスマスイブ。
そこのアナタも、家族と過ごしたり恋人と過ごしたりと、
ステキなステキな1日を予定していることかと思います。
毎年テンションが上がってしまうイベント、それがクリスマスイブ。
でも歴史を遡ってみると、もともとクリスマスというのはご存知
「イエス・キリストの誕生日」なのです。
その前夜にあたるのが、まさに本日クリスマスイブなのです。
(本来はユダヤ教の暦的に「クリスマスの夜」という意味です)
なのに、
「聖」なる夜のはずが「性」なる夜
とかいうワケワカラン解釈が日本の若者を中心に蔓延しているわけです(笑)。
…まぁそれはさておき、ホントのホントを言えばクリスマスとは「キリストのミサ」という意味であり、
アメリカをはじめとする世界のキリスト教国では、キリストの降誕をお祝いする日なのです。
ということで、せっかく本日はクリスマスイブなので、
「キリスト教をはじめとする神さまという存在」について個人的に思うことをツラツラ述べていきます。
【中世の時代のキリスト教の役割】
さてさて先日、劇団四季『ノートルダムの鐘』という作品を鑑賞してまいりました。
あんまり劇団四季の作品の中では知名度は高くないかもしれませんが、とにかく「感動!感動!」の嵐。
あまりにも感涙しすぎて心が清らかになり、めちゃくちゃスバラシイひとときを過ごさせていただきました(笑)。
ちなみに、ディズニーのアニメ作品については過去にも触れているので、
ご参考までにチラッと見てみていただければ、誠に幸いでございます。
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そんな劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘』で描かれているのは
15世紀のフランス・パリの世界を舞台にしています。
すなわち、キリスト教が勃興している時代。
この時代の流れの中で、
醜い容姿の主人公カジモドをキリスト教の神父さんであるフロローが「これは神が私に与えた試練だ」と育てることにします。
最終的には、時代が進みフロローはノートルダム大聖堂の大助祭に昇格します。
(ちなみにアニメ版では「最高裁判事」です。どちらにしても相当役職が上のエラい方…)
まぁ、こんなお偉いさんなのに性格が激ワルのフロローによってパリはめちゃくちゃになるわけですが、
要は、「権力=キリスト教」の時代だったので逆らうことが難しかったわけです。
こう考えると、中世ヨーロッパでは「いかにキリスト教を信じるかが重要」であったかがわかりますね。
劇団四季:ミュージカル『ノートルダムの鐘』:名古屋公演プロモーションVTR
でも、この『ノートルダムの鐘』によって感じたのは、
「無条件にキリスト教を信じること」ではなくもっともっと別のところにあります。
【どんな神さまを信じたってイイんじゃないの】
主人公カジモドは容姿の醜さに反して、非常に非常に心のキレイな青年です。
そんな姿に個人的にスゴく惹かれてしまったワケなのですが(笑)、特に考えたのは、
「別にどんな神さまを信じたってイイじゃないの!」ということです。
かわいそうなことに、カジモドは育ての親フロローに養ってもらっている身分。
残念ながら、確実に当時のカジモドには「信教の自由」はなかったのです。
さらに言ってしまえば、
当時のフランス国民も「信教の自由」はなかったことでしょう。
でもですね、結局は
「『信じるか信じないか』なんて人それぞれ自由」なんじゃないでしょうか。
別の神さまを信じることでバッシングをくらうという世の中なんて、明らかにオカシイ世界ですよね。
「別の神様を信じている人のことだって愛せるじゃないか。その人が言うことにも感動できるだろ。」
個人的にも「好きな神さまを信じてイイんじゃない」と思いますし、本ブログの投稿2回目でその話もしています。
ということで、そんな本日はイエスキリストの生誕を祝うクリスマスイブ、
皆さま素敵なクリスマスイブを!(*´︶`*)♫
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平
(今週のお題「クリスマス」)