どーも。道にいる「セミファイナル」をたくさん見ると夏の終わりを感じてチョッピリ切なくなってしまいます、公平(@kohei_nagura)です。
さて、前回と前々回と、
千田琢哉さんの『世界に何が起こっても自分を生ききる25の決断本』という本を引用しながら『勤勉』と『解釈』についてお話してきました。
www.life-travel-consultant.com
www.life-travel-consultant.com
そんな本日は、ラスト第三弾として、
「『平等』が不可能なワケ」という話をしていこうと思います。
【目次】
【みんながみんな「平等」なワケないやん】
〔『学問のすすめ』から学ぶ「不」平等思想〕
いきなりですが、
みんながみんな平等に生きれるという考え方は捨てましょう。
「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」と、「言えり」で締めている。「言えり」は伝聞であり、「……だとさ」という意味だ。「……とは言われているけれども」というのが著者の真意なのだ。つまりこれは、「今からこのきれいごとを私が完膚なきまでに叩きのめしますからよく読んでくださいね」という合図なのだ。
(引用:世界に何が起こっても自分を生ききる25の決断本より)
かの一万円札の肖像画でおなじみ福沢諭吉の著書『学問のすすめ』、
タイトルまでは知っていても、中身までは知らないという方も多いと思います。
その一節に『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』という名言があります。
これ、「みんな平等に生きていこうぜ!」というコトバだと勘違いしていませんか?
「学問をして賢くなった人間と、学問がなくて愚かな人間が平等のわけがないでしょ。だからうちの塾に入って勉強して差をつけちゃわない?」
(引用:世界に何が起こっても自分を生ききる25の決断本より)
実は、この世の中「みんな平等!」と言っているわけではありません。
そうではなく、そもそも『学問のすすめ』は
「人が平等になるわけなんてない!」
「だからこそ勉強して差をつけていこう!」
ということをくり返し訴えている本なのです。
つまり、
世間で勘違いされがちな「平等論」とは180°反対の内容といえます。
少し長いので「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」の後の話を要約すると、
「しかしながら、実際には賢い人と愚かな人、貧しい人と富んだ人、身分の高い人と低い人などがいて、雲泥の差がついているのがこの世の中じゃ」
と福沢諭吉先生はおっしゃっています。
いってしまえば、「学問が必要なのは不平等な社会を生き抜くため」ということを強く言いたかったのです。
〔「平等」と「公平」の違い〕
では、逆に「人はみな平等」という考え方は通用しないのでしょうか?
そのためには、まず「平等」だけでなく「公平」というコトバも明らかにする必要があります。
そもそも、違う人間。「平等」であることなど絶対に不可能です。なのに、社会は「平等」に熱中する。考えてみると、ここには言葉の誤用があるのではと感じます。おそらく、社会が子どもたちに伝えたいのは「平等」ではなく、「公平」なのではないかと。この2つをごっちゃにすると、矛盾だらけのわけのわからない議論になってしまうから気を付けたいです。
(引用:「公平」と「平等」の違い【Medium.com】より)
ま、そもそも僕の名前が「公平」という名前なのですが(笑)、
意外とごっちゃにされがち、「平等」とは違うのが「公平」です。
そもそも、「平等」とは権利が一様であることであり、
「公平」とは不正やズルがないことをいいます。
これTwitterで昔チラッと見たのですが、
だいたい僕は 「平等」と「公平」の違いを話す際はこの画像を見てもらいます。
平等!と、公平は別です! 現在日本の社会において必要なのは 「公平!」でしょう!同一条件で1時間働く人と、8時間働く人が 平等!であれば、賃金は同じくせねばなりません! pic.twitter.com/U3JOIcJQjq
— 原 日本 (@ymtco) 2020年8月18日
「平等(Equality)」とは大人も子供も同じ高さの台に乗っている(=権利が一様に与えられている)ことであり、
「公平(Equity)」とは野球観戦という目的が誰もが達成できるように台の高さを調整(=目的に特化)していることです。
すなわち、高いところから見る人や見えない人がいないことから、「公平(Equity)」は不正やズルがない状態といえます。
ちょっと話が逸れてしまいましたが、『学問のすすめ』では
不正やズルがない「公平」というのはあるにせよ、
権利が一様である「平等」というのは存在しない。
ということを言っているのです。
【平等とは、もっとも不平等な状態と同値である】
〔新時代にて「パワー」で上下を生みだすのはオカシイ話〕
「パワーの行使は新しい時代には向かない」
(引用:『逆転の発想』より)
この「平等」というテーマに関して、よくいわれるのが、
「武力」に頼って上下関係をつけだすと人間関係や組織の中のつながりが崩壊していくということです。
たとえば、ここ最近よく日本でも報道されていますが「Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)」運動。
このコトバは、黒人男性が白人の警察官に首を圧迫されて死亡した事件を受け、
非暴力的な市民的不服従を唱え、全米に広がった抗議デモの中のコトバです。
これなんて、明らかに白人警官による一市民の黒人の方に対する「力(Power)」の行使です。
先ほどの「平等」の話でいくと、「Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)」運動というのは、
一様な権利を与えられる「平等(Equality)」ではなく世の中から不正をなくす「公平(Equity)」といえます。
それを、力で対抗する「エンパワー」的な措置ではなく、話し合いで抗議する「デモ」という形をとっているのです。
(どこかの国では、国が「武力」を持ちだしそれに国民が「力」で対抗するという負のスパイラルもありますが…)
ま、それはおいておいて(笑)、これは歴史が証明していることなのですが、
武力行使により国民を支配している国家というのは例外なく破綻しています。
力の行使によるマネジメントは、会社という小さな枠組みではもちろんのこと、
国家レベルだと紛争や戦争につながり「百害あって一利なし」状態になります。
つまり、
不正やズルをなくした「公平(Equity)」により国を治めるのがベスト
だということです。
〔世間からダマされないように「知識」で武装せよ!〕
著者の強かさと、この世の本質を洞察する鋭い知力から学ぶことが、あなたの人生における判断力と決断力を磨く支えになってくれるのは間違いない。
(引用:『世界に何が起こっても自分を生ききる25の決断本』より)
最後に確認したい大事なことが、ひとつだけあります。
それはなにかというと、
「パワー」の行使というのは【武力】だけでなく当然【言葉】も含まれているということです。
どういうことかというと、たとえば
「先生が生徒に対して」もしくは「親が子供に対して」なにか厳しいひとことを言ったとします。
当然これも「パワーの行使」にあたりますが、その理由を考えれば一目瞭然です。
なぜなら、このコトバを発したメカニズムというのは、
自分と同じ水準(だと勝手にソイツが思い込んでる)まで来てほしいということだからです。
すなわち、
「『平等』観の押し付け」(これもソイツが勝手に概念をつくり出し思い込んでるだけ)です。
平等とは、もっとも不平等な状態と同値である
というのは僕のつくった造語なのですが、まさにこのとおり。
平等をつくり出すと豪語しているファッキン社会は、
もっとも不平等なカオス状態をつくりだしていることとイコールです。
なにが「平等は至高だ!」だ。
なにが「平等こそ正義!」だ。
なめとんのか。
そのホントの平等をわかっていないヤツが、逆に世の中をどんどん不平等にしてるんだぜ。
まじめな人が苦しんで 正直者が馬鹿をみて
傷だらけのこの日本で 正解はありますか先生?
(引用:『イキノビタカラヤルコトガアル』より)
この歌詞は、【練馬ザファッカー】リーダー「D.O」の 『イキノビタカラヤルコトガアル』という歌詞の一節です。
そんな真面目な人が苦しんで正直者がバカを見る社会…
このような世界で自らの身を守る方法がひとつだけあります。
…それが、「『知識』で武装する」こと。
www.life-travel-consultant.com
このブログのコンセプトは、
悩んでる方々に「強か(したたか)に生きる」ヒントをお伝えすること
です。
この世の中が「不平等」だということがわかったら、
あとはダマされないように知識で武装化するだけです。
冒頭でも述べたとおり、福沢諭吉が『学問のすすめ』の中で、
「学問をして賢くなった人間と、学問がなくて愚かな人間が平等のわけがないでしょ。」と言っていたとお伝えしました。
だから、結局は
勉強して不平等を少しでも是正するしかないのです。
僕はこの「勉強」を【知的投資】と呼んでいますが、
同時に「筋トレ」という【肉体的投資】も大事にしています。
www.life-travel-consultant.com
ま、それはそれとして(笑)、要は
世間からダマされないように「『知識』で武装せよ! 』ということが不平等社会を生き抜く唯一のスベであるいえるでしょう。
というわけで、ここまで3週にわたってお伝えしてきた「決断本」シリーズもおしまい。
この本が気になった方はぜひ、もっと知見を深めるために、
「決断本(=『世界に何が起こっても自分を生ききる25の決断本』)」を読んでみてくださいね!
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平