時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

コミュニケーションの極意、それは「ディスカッション(議論)」ではなく「ダイアログ(対話)」。

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どーも。「読書の秋」「食欲の秋」「睡眠の秋」…もう「なんでもありの秋」、公平(@kohei_nagura)です。 

 

 

 

肌寒くなってきて冬の足音が聞こえてきている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

 

だんだんと暖房をつけるくらい寒くなり、人肌が恋しくなり、家族、恋人、友だちなどなど、みなさま、

それぞれが仲の良い人たちと笑顔で語り合って、日々楽しいひとときを過ごしていることかと思います。

 

 

この語り合いについて、このようなコミュニケーションの場で意識しておくとよいことがあります。

それが、「話し合う際には『ディスカッション』ではなく『ダイアログ』で」ということ。

 

…おそらく「???」というかんじだと思いますので、本日は、

コミュニケーションの極意:「ダイアログ(対話)での話し合い」

ということについて、お話させていただきたいと思います。

 

 

 

人とのコミュニケーションは…「ダイアログ(対話)」にあり!

  

 

 

【目次】

 

 

 

【ダイアログ(対話) = dia(〜通じて) + logue(コトバ)】

 

ダイアログ(dialogue)…日本語に直訳すると「対話」

あなたは、日々ダイアログを意識したコミュニケーションをしていますでしょうか?

 

というか、そもそものダイアログうんぬんの前に「対話」ってなんなんでしょうか?

 

 

 

…対話とは、相手の背後にある前提を探り合いながら新たな発見を行うこと。

 

ま、だいぶ簡単にいえば「話の中で『あっ!』という発見をせよ」ということになります。

 

 

 

そんなとき、よく聞かれるのが

1対1で話すことが対話?

みんなでワイワイ話すのが対話?

などの、その人数についての質問です。

 

 

ここで、「ダイアログ」というコトバの生みの親であるアメリカの物理学者、

デビッド・ボーム博士の話を取り上げて、その点を少し考えてみましょう。

  

 

 

博士いわく、

「言葉は2人の間だけでなく、何人でも可能なものだ。(中略)人々の間を通って流れている『意味の流れ』というイメージが生まれてくる」

と述べています。

 

 

 

 

 

もともと「対話(ダイアログ)」というのは、ネイティブ・アメリカンの部族の生活が発端です。

 

彼らは、夜に焚き火を囲んで輪になって座りさまざまなテーマで話し合うのですが、

その場にリーダーがいるわけではなく、みんなの意見が尊重される場だったそうです。

 

ひとりが話しているときは、その話が終わるまで誰かがそこに割って入るようなこともなく、

みんながみんな相手の話を否定するわけではなく、気がつけば自然に話し合いが終わる…。

 

 

このように、お互いの考えていることを共有することで相互理解を行い、

まさにすばらしいコミュニケーションにつながったらしいのです。

 

 

 

 

そもそも、diaは「〜2つ」という意味ではなく「〜を通じて」という意味です。

そのため、ダイアログとはその人数に関係なく行われる営みであるといえます。

 

 

ちなみに、logosは「言葉」という意味ですので、先ほどのdia「〜を通じて」とあわせて考えてみると、

ダイアログ(dialogue)とは、コトバ(logos)を通じて(dia)コミュニケーションをとることなんですね。 

 

 

 

【会話→対話→議論】

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さて、ここで「ダイアログ(対話)」を考えると「じゃ会話とは違うの!?」という話になってきます。

 

これは、ほとんど同じような感覚で捉えている方も多いとは思いますが、明確に違う点がひとつあります。

 

 

それは、コミュニケーションをとって話が終わった後の感覚です。

 

 

 

たとえば、

相手「わたしは、この前言ってた◯◯さんの××ってコトバ、なんか身勝手だと思うのよね〜」

あなた「なるほど〜。たしかに△△ってことはあるよね。それは正しいと思う。だけど、わたしは☆☆だと思う」

相手「え〜!☆☆!?なんでなんで?」

あなた「だってさ、前に◯◯さんってさ〜」 

という会話をしたとしましょう。

 

はたして、これは「ダイアログ(対話)」「コンバセーション(会話)」どちらに当たるでしょう?

 

 

…正解は、「ダイアログ(対話)」

 

これ、なぜだかわかりますか?

 

 

そう、答えは「話し合いの後の清々しさや新たな発見がある」から。 

なにか、子どもが面白いものを発見したときの気分に近いですね。

 

というか、この僕からの発問のやりとりがモロ「ダイアログ(対話)」にあたります。

「あ…なるほどそゆことね〜」のように発見があるからです。(これ、ここに発見がなければ「ただの会話」です笑)

 

 

 

先ほどの会話で、相手が「え〜!なんでなんで!?」と言って「知りたい!」と思うところから、

あなたの問いにより相手が新たなことを発見するので、これは「ダイアログ(対話)」になるでしょう。

 

「ええ!?◯◯さんてそんな一面あったんだ!?」みたいなかんじですね。

 

 

 

これが、仮に

相手「うちの会社の◯◯さんって人、××って発言してて身勝手だと思わない!?」

あなた「わかるわかる!うちの会社でも部長が☆☆って言ってて超ウザかった〜」

相手「うわ〜それはひどい!ヤバい人たね!」…

という流れになっていれば、これはただの「コンバセーション(会話)」です。

 

 

もちろん、たしかにココから新たな発見がないわけではないですが、話した後の爽やかさなんてないですよね。

ただのグチり合戦ですから、たとえそれでストレス発散できたとしても厳密にはコミュニケーションとはなりません。

 

どちらかというと、「ダイアログ(対話)」「あ〜楽しかった!」というような娯楽を楽しんだ後の気分に近いです。

 

 

 

ただ、この雑談を否定することはありません。

てか、僕自身も「なんだあの人!」とか思うこともありますしコトバで言っちゃうこともありますし(笑)。 

 

「中身のない会話」というのがコミュニケーションで非常に大切ですよね。

たとえば、あたりさわりのない天気の会話なんていうのが典型的な例でしょう。

「今日は晴れててポカポカ陽気が気持ちいいですね〜!」「雨ふっちゃいましたね…足元がビチョビチョで嫌になっちゃいますね(泣)」

みたいな会話は、いちばん最初の話のフックとしてはよくあることですよね。

(中略)

この「ゆるトーク」で人間関係が成り立っていると言っても過言ではありません。

 

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そこは、「生産的かどうか」だったり「風がサーっと吹き抜けるような爽快感」だったりで判断するといいと思います。

ま、言ってしまえば「コンバセーション(会話)」コミュニケーションの質はどちらかといえば低いということですね。

 

現実はいつも対話から生まれる

現実はいつも対話から生まれる

 

 

 

 

それに対して、「コンバセーション(会話)」「ダイアログ(対話)」と進んでいくと「ディスカッション(議論)」となります。

 

これは読んで字のごとく、自分の意見と相手の意見を戦わせる(=論争する)ことです。

「ディスカッション(議論)」を終えると、頭を使って疲れてしまう反面うまく話がまとまると充実感があります。

 

 

ただデメリットは、議論に負けると悪い気分をすることもあります。

勝ち負けがあるところから、この資本主義の世の中にはピッタリはピッタリなのですが…

 

 

 

よく理系の方とお話ししていると、日常会話がディスカッションになっている方もいらっしゃいますが、

普段のコミュニケーションは、ディスカッションではなくダイアログを重視することがとても大事です。

 

つまり、

「議論よりも、対話。」

 

ということですね。

 

 

 

【結論。コミュニケーションにはダイアログが最強。】

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では、これら「コンバセーション(会話)」「ダイアログ(対話)」「ディスカッション(議論)」の中で

『他人とのコミュニケーションという点で最も適しているものは何?』ということになりますよね。

 

 

 

というか、そもそも論、コミュニケーションってなんでしょうか?

…あなたは、コミュニケーションってなんだと思いますか?(対話風に)

 

 

コミュニケーションとは、自分の意図が相手に伝わって相手が意図に沿って動いてくれること。

 

 

 

そう考えると、コミュニケーションという点で双方に必要なものはなんだと思いますか?(再び対話風に)

 

 

…そう、それはお互いの納得感

 

 

先ほどの例のグチり合い合戦では、どちらかが「お互い大変だね〜」と言いつつも「心の中で勝敗」をつけています。

たとえば、「わたしの方が苦しい状況なのよ」とか「あなたの方がキツそうだからわたしの方がまだイイや」とか。

 

 

 

そしてこれは、この「コンバセーション(会話)」だけでなくもちろん「ディスカッション(議論)」でも同じことです。 

あれは完全に「お互いの意見のツブし合い」です。(当然ディスカッションは使い方によって有用な道具になります)

 

というわけで、「コンバセーション(会話)」「ディスカッション(議論)」も納得感がないケースが多々あります。

 

 

 

ただ、「ダイアログ(対話)」だけは違います。

意見が違うとき、「自分の方が正しい理由を話す」のではなく「相手がなぜそう考えるのか理解する」ようになるのがダイアログです。

 

ゆえに、コミュニケーションの場ではダイアログは最強なのです。

  

 

 

 

「ダイアログ(対話)」という概念は、冒頭でも述べたようにボーム博士がつくりだしたものです。

 

ただですね、この「ダイアログ(対話)」という行為自体はネイティブ・アメリカン時代より前、

もっともっと時をさかのぼってみると、古代ギリシャ時代から行われていたといいます。

 

 

 

もともと古代ギリシャで生まれた哲学的な言葉で、非常に抽象的な概念をあらわす「ロゴス」という言葉があります。

 

 

そして、この「ロゴス」の語源は"legein"というもの。

 

この"legein"という「拾い集める」という動詞から派生しており、

そこから、「論理」などの抽象的概念である「ロゴス」が生まれました。

 

 

具体的なものを「拾い集め(logein)」ているうちに、いつの間にか抽象的なものになった、的なかんじですね。(ここから、帰納法の話とかにつながり個人的にはテンション爆上がりですがムズイ話なのでいずれの機会にまわします笑)

 

 

 

…とここで「ピン!」ときた方、あなたは超鋭いですね。

この「ロゴス(logos)」には、「言葉」という意味もありましたね。

 

彼は問いかける。幸福とはなにか、勇気とはなにか、善きものとはなにか?——結局のところ、こういう問題には我々はおろか哲人ソクラテスにおいても、完璧に答えられるものではなかった。

 (引用: 『ソクラテスの弁明』より) 

  

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つまり、このソクラテスのコトバからもわかるように、

「ダイアログ(対話)」こそがロゴスにたどり着く方法なのです。

 

これこそが、かの有名な「ソクラテス問答法」です。

ひたすら、相手からのコトバに対して質問で返す方法です。

 

 

この目的は、もちろん相手に「ハッ!」と新たな発見させることにありますが、

なんかこれ、日常で使いまくってたらウザイかんじもあるのも否めませんよね。

  

あなた「今日何食べたい?」

相手「う〜ん…お肉系かな?

あなた「なんで(自分が)お肉系食べたいと思ったの?」

相手「え〜と…ここ最近は野菜ばっかでお肉を欲してると思ったからかな?」

あなた「どこらへんを見て野菜ばっか食べてると感じたの?」…

 

 

いやいや、いとウザし!!

 

 

あくまで、これは極端な例ですが(笑)、

基本コミュニケーションは「納得感のともなう『ダイアログ』」です。

 

 

と考えれば、これは相手が納得してるのであれば問題ありませんが、

これに「ウザッ!」と思った時点でダイアログではありませんよね。

 

よっぽど寛容な「奥さん」「旦那さん」「恋人」「友だち」がいれば別ですが(笑)

 

 

 

 

 

というわけで、結論。

お互い納得感のある「ダイアログ(対話)」こそが最強。

  

 

ぜひ、みなさんも「納得し合えるような『ダイアログ(対話)』」を目指し、

日々のコミュニケーションに、大いに活かしてみてはいかがでしょうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平