時々、まわりみち。

真面目で優しいが故に自分が傷付く…そんな生きづらさを感じる人が強かに生きるヒントを綴ります。

手間暇かけて、ひとつひとつと向き合う。それこそが「耕すこと」であり、「教育」の本質である。

f:id:kohei_nagura:20200803120854j:plain

 

 
どーも。7月は「はよ梅雨あけとくれ」と思ったのに8月いざ梅雨あけるとそれはそれで暑くてションボリ、公平(@kohei_nagura)です。 

 


梅雨明け後いきなり猛暑!関東は連日晴れで気温上昇(20/08/01)

 

 

 

 

 

ではでは、本日は

「日本に必要なのは『教育』。その『教育』とは『耕すこと』である!」について、つれづれなるままにお話ししていきます。

 

 

 

【目次】

 

 

  

【教育とは、「耕す」こと。】

 

さっそくですが、教育とは何か?

 

…なーんていうと、「おい公平よ、かたすぎるぞ内容が」なんて言われてしまいますので、

なにも、そんなおカタイ話でもなく、身近な教育で置き換えて考えてみてほしいんです。

 

 

 

たとえば、あなたが親だったら子どもに対して伝えることだって教育ですし、

あなたが会社で管理職だったら部下へ伝えることも教育と考えてもいいでしょう。

  

というか上下関係うんぬんではなく、

もちろん人間である以上は教育を与えたり受けたりしているものです。

 

 

ちなみに、高い教育の質を維持し続けているフィンランドの教育は、

まさに、その人間関係を重視した(=相手に主軸をあわせた)教育です。

 

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか(新潮新書)
 

 

 

そして、そんな

教育が仮にこの世からなくなってしまったらどうでしょうか?

 

 

…そう、答えは「いずれ人間は絶滅する」です。

 

なぜなら、あなたが生きている世代はなんとかなるかもしれませんが、

あなたの後生の新しい世界をつくる世代は、どんどん衰退していくからです。

 

 

 

教育を受けないヒトたちは、人間力が自然に落ちていきます。

 

ここでの「人間力」というのは、「人から好かれる力」と定義することにします。

(当然ですが、学校で習う「英語」や「国語」などだけを指すわけでは決してありません)

 

engineer-club.jp

 

 

 

そういうわけで、本来であれば日本にとどまらず世界に教育を広めることが必要なのですが、

ずーっと言われ続けていることではありますが、なかなか発展途上国で浸透していないのが現状です。

 

いや、むしろ日本でも質の高い教育がなされていません。

 

 

 

そこでですね、僕はこう考えてみたらいいんじゃないかと思うんです。

 

「教育(education)=土壌を耕すこと(cuitivation)」

だと。

 

 

 

【手間暇かけて、ひとりひとりと向き合う】

f:id:kohei_nagura:20200803120959j:plain

 


「…ん、どゆこと?」となるのは当然でしょう。

だって、そもそもサービス関係の第3次産業と農業系の第1次産業で相入れないワードですから(笑)。

 

 

 

ただ、お気づきになった方、するどいですね。

 

実は、共通点があるんですよねこのコトバたち。

それは、「手間暇かけたぶん実り多きものになる」ということです。

 

 

 

この「耕す(cuitivate)」というのは比較的わかりやすいんじゃないかと思います。

もちろん、毎日いろいろ水やりだったり土壌を整えたりすれば野菜や果実は実るので。

 

 

でも逆にですね、同時に「教育(education)」もコレがすべてじゃないかと。

 

ぜんぜん性質が違うふたりがいて、まずはコミュニケーションをとって、

信頼関係を築くとこから始まり、だんだん気を許してきて最後は相手が花開く。

 

 

これぞ、まさに「教育」です。

つまりは、「耕すこと」です。

  

耕す人

耕す人

  • 発売日: 2016/07/12
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

あなたも、家庭学校職場などで経験ありませんか?

「なんか、この人とは合わんなぁ」という経験。

 

そんなとき、フツーだったらその人とは距離を置くと思いますが、

意外と「話してみたら接しやすかった!」なんてことはよくあることです。

 

それこそ「教育」の始まりですが、いいかえれば「耕すこと」の始まりなわけです。

(これが同級生であろうが同僚であろうが、上下かかわらず「教育」のひとつです。)

 

 

 

 

 

というか、そもそも「cuitivation」のもともとの意味は「親しくなろうとすること」

 

つまりは、

人に「教育する」ことは「親しくなろうとすること」でもあるわけです。 

 

ameblo.jp

 

 

なので、「教育は根気よく手間暇かけること」だと心に留めれば相手に対してイライラすることもなくなるかもしれませんね。

 

  

  

【「耕す(Cultivate)」を続ければ、そのまま「文化(Culture)」になる】

f:id:kohei_nagura:20200803121105j:plain

 

 

そして、もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、

「cultivation(耕作)」「culture(文化)」と同じ語源をもっています。

 

 

これらは、どちらもラテン語の「colere」から派生してきた言葉で、この

「colere」に「心を耕す」という意味が加わり「culture(文化)」ができてきた

と、こういうわけです。

 

gogen-wisdom.hatenablog.com

 

 

個人的に、この語源を知ったとき「え!まじか!すごい深くねっ!?」と思いましたね。

 

だって、いろいろ手間暇かけて「耕す」ことはいわゆる「教育」と同じなわけですよね…

これは「文化」にもつながると昔から考えられてきたって…なんか壮大でロマンがあるから!(笑)

 

 

この「文化」は狭い広いの差はあれど、ひとつの「組織」が形作れられるということなので、

これを考えれば、いかに教育が大事ですべての源であるかというのがわかるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ちなみに、前職の旅行会社を辞め教育業界に転職したのも「教育=すべての根幹!」が理由のひとつだったりするのですが、

めちゃくちゃ長くなってしまうし、ちょいちょい過去記事でもお伝えさせてもらっているので、またいずれの機会にでも…。

 

www.life-travel-consultant.com

 

 

 

…そんなこんなで結局マジメな話になってしまいましたが(笑)、

やっぱり「土地を耕す」ことって大切です(もちろん例え話として)。

 

 

 

昔、北海道のおばあちゃん家で畑を耕すお手伝いをしたことはありましたが、

その耕し方によって作物の育ち方が変わってきたのは、とても印象的でした。

 

 

ほんとね、びっくりするくらいその作物の育ちが明らかに違ってくるんですよ。

それはまさに、こちらの耕し方ひとつなわけです。

 

 

 

そもそも「土を耕す」ことのメリットは、かたく締まった土をほぐし土の中に空気をたっぷり含ませることで、

それにより、水はけがよくなり野菜は土の中に根を伸ばしやすくなり、結果として成長しやすくなるのです。

 

また同時に、「土を耕す」ことにより酸素を必要とする土壌微生物が活動しやすくなり、

たい肥などの有機物の分解が進み、野菜や果実に十分な栄養を供給できるようになるのです。

 


別荘に耕運機買ったから耕すぞ!! 【ダンテ村】 PDS

 

 

 

とまぁ、このままだと農業の話になってしまいそうなのでこのくらいにして(笑)、

とにかく大事なのは「Education:教育(=耕すこと)→ Culture:文化」 というわけです。

 

 

 

 

この「文化」の多様性を互いに認め合うことができれば、なにも冗談ではなく「世界平和」につながっていきます。

その前段階として、まずは「『教育(=耕すこと)』」を念頭にぜひ日々の教えに活かしていただけばと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回これにて失礼します。

皆様に、心よりの感謝を込めて。

 

 

公平