どーも。新年度「え!1日ってこんな早いの!?」と感じるくらいバタバタと充実する毎日、公平(@kohei_nagura)です。
さてさて、年度が変わり環境が変わっていろいろと考える方もいらっしゃるかと思いますので、
本日は「自分を責めないで!」という『自責と他責』論についてお話したいと思います。
ホントにホントにホントに「自分を責める」ことは何も生まれないから注意!
【目次】
【まずは『自責』について掘り下げてみるよ】
ではさっそく、まずは「自責」について考えてみましょう。
たとえば、あなたが原因で何かが起こってしまったとします。
当然ですが、
A:「あなたに原因があります」
の意味は
B:「あなたが悪いです」
ではないですよね。
Bのような、「あなたが悪い!」なんてひとことも言っていないですよね。
Aは、「事実についての見解」を述べています。
Bは、「相手を責めて」います。
このAとBの意味は、まったくと言っていいほど違います。
ただ、Bの意味合いでAを使う人やケースが多いこともたしかです。
(というか、こっちの方が一般的かもですね…世知辛い世の中…笑)
でも、これだと純粋に「原因がどこにあるか」についての議論することが難しくなっちゃいますよね。
なぜなら、言われた方は「お前が悪い!」というように「責められている!」と受け取ってしまうので自己弁護に徹してしまうからです。
なので、
「責めているわけじゃなくて原因の所在を明らかにしたいだけなんですよ!」
と、先に言っておくといいのかもしれませんね。
(それでも怒る人はいると思います。やっぱり我々は、子どものころから責められまくってきたから「責められる」ことが相当怖いんですね。)
同様に、
C:「自分のせいです」
というのも
D:「自分が悪いんです」
という意味ではなくて、単に「自分が原因です」という意味で使いたいですね。
もちろん、自分のミスで何らかの損害を出したら誠実に謝罪をすべきです。
でもですね、謝罪は一瞬とか一度とかでぜんぜんいいですよね。
はっきり言って、「100回頭下げろ!」とか「土下座して靴舐めろ!」とか言ってる人は精神に何らかの問題があると思います(笑)。
こちらのケースについても、Dの意味合いでCを使ってしまうから、
どうしてもみんな「責めたり責められたり」のやり取りになってしまいがちなんですね。
「責められた!」と感じた方は、当然「自分のせいじゃない!」と否定したくなります。
あるいは、単に「自分が原因」だと認めるだけなのに「どうせ僕が悪いんでしょ!」とかワケワカラン開き直りになったり、
逆に、「自分が悪いんです…」とションボリ落ち込んだり(←これが「自責」。自分で自分を責める行為。)することもあります。
こういうこじれ方をしちゃうと、
いつまでたっても物事を解決できず改善するためのまともな議論ができないんですね。
なので、こう考えると「自責」することには何の生産性もないことに気がつきますね。
【意識的に「自責モード」をヌケ出せ!】
…とはいえ、ここまでの内容は全部「理屈」であり「正論」です。
「うん…頭ではわかっているけど…」っていうやつですね。
実際は、なかなか難しいかなと思います。
人間は「感応する主体」でもあるので、どうしても言われると落ち込んだり自責してしまったりするものです。
もしかしたら、罪悪感にもかられる方も多いかと思います。
自分が言う方のときだって、「原因を知りたいだけだ!」とは言いながら心のどこかで怒ったり責めたりしていたりしているかもしれません。
なので、今後もし自分が言う方になったときに自分の感情をよくよく観察してみてください。
「ああ、やっべ自分責めてんな〜これ。責めてるわ〜。」とか、気づけるかもしれません。
ま、我々は当然機械じゃないので「感情をいっさいなくせ!」なんていうのは不可能ですもんね(笑)。
とはいえ、感応だけをし続けて感情だけで動くのもそれはそれでマズイですよね。
なので、やっぱりうまく認知(前頭葉)を使う必要があります。
その具体的な方法論が、まさに『リフレーミング』というわけです。
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仮に、自分のミスに対して1週間ずーっと罪悪感を感じ続けたところで何の意味もないです。
どんな人にとっての1mmのメリットもないことは、誰でもわかると思います。
てか、むしろデメリットは山ほどあります。
たとえば、周りの人は「自責する」あなたを1週間なぐさめ続けなくてはならなくなります。
目の前で、ずっと「自分やべーわ。もうダメだわ…」とかと、
罪悪感にさいなまれている人がいたら、あなたはどうしますか?
さすがに、どんなに厳しく普段から鬼のような人だって声をかけてあげますよね。
でも、もしあなたが1週間以上とか毎日ひとりの人を「なぐさめさせられ」たら、
きっとあなたは、その人を逆にだんだんと嫌いになるんじゃないでしょうか?
いくらなんでも仏さんみたいな人だって「うんざりする」んじゃないでしょうか?(笑)
実は、あまりにも落ち込みがちな人って結構なかなかに人に嫌われたりしてしまうんですよね。
あるいは、自責をする人は「自分を責めれば責めるほど罪が軽減される」という思い込みが背景にあるのでしょう。
もしかしたら、「自責することで自分を免罪しよう」というような無意識が、どこかにあるのかもしれませんね。
自分の意識といっても、どこまでわかっているかなんてわからないものです(だから無意識と言うわけなんですね)。
だから、ひとまず毎日リフレーミングしたりして意識的に「自責モード」をヌケ出す訓練をするのが得策なのです。
【なんかあったら即反省、んで即忘却。】
というわけで、ムリヤリ結論。
あなたが何かやらかしちゃったとき、反省は【2秒】でいいのです。
『焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔をつくる。』(by ゲーテ)
かの大文豪・ゲーテも、「後悔は役に立たない」と言い切ってるくらいですから、
2秒で「心からの反省」をして、自責するならサクッとする程度でいいのです。
必要な場合は他責せず、「誠意ある謝罪」をきちんと相手に伝える。
そしたらサッと「今からどうするか」に切り替えて、
より建設的で生産的な思考や行動にうつした方が自分にも他者にも良いことしかないですよね。
んで、お互いがこれをやりあう組織ってめちゃくちゃパワフルだと思いませんか?
これ、イメージするだけでワクワクするし第一みんな明るくなり平和な世の中になりそうですよね。
たとえば、「いやあ〜マジか〜。やらかしました。本当に申し訳ないです!」みたいな。
これぞ、まさに【真剣に反省して謝罪し「次」のために動きはじめる人】です。
個人的にも、この生き方や生き様は非常に理想だと強く思います。
もちろん、あまりにもヒドイことをやってしまって、誠意をもって謝ったからといって許してもらえるとは限りません。
当たり前っちゃあ当たり前ですが、許すか許さないかは「自分が決める」のではなく「相手が決めること」ですから。
ただ、こちらにできることは、
「誠心誠意の謝意をあらわす」
「相手に与えたデメリット以上のメリットで埋め合わせる」
ことしかないのです。
これで、「無用の自責」を続けることには本当に何の意味もないことは感じていただけたのではないかなと思います。
ではでは、最後に。
いつも「この世のすべての不利益は当人の能力不足」と口が酸っぱくなるくらい伝え続けていますが(笑)、
あれは「自責せよ」という意味ではなく、この『資本主義のルール下で負けないための心構え』という意味です。
「この世のすべての不利益は『当人の能力不足』」
昔ヤングジャンプで連載していた『東京喰種(トーキョーグール)』の一節なのですが、 この言葉の背景には、 主人公・金木研くんが拷問を受けていた際に、自分が弱いから不利益を被っていると感じたという体験があります。
僕は個人的に自分の座右の銘にしているほど好きな言葉で、この言葉は正しいと信じています。というのも、環境を変える勇気を持って行動に移せなかったのは、何を隠そう自分自身だからです。もちろん、人の力ではどうにもならないことや人智を超えるケースはあるとは思いますが、 自分が不利益を被っていることに対して、決して他人や環境のせいにしてはいけません。付き合う他人や周囲の環境を変えられない自分の責任です。
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これは、なにも「自責」で自分を責めることではありません。
弱肉強食のこの金融資本主義のルール化でなにかあったら「自分に責任がある」と考える合理的な思考を養うということです。
つまりは、「無用の自責」でもなんでもなく「有用の自責」です。(こんなコトバがあるかわかりませんが笑)
あなたも、なにか今後あったとしたらサクッと反省だけしてみて、
そしてサクッと忘れるようする生活してみてはいかがでしょうか?
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平