どーも。無事に新居の審査が通り引越し日も決まり一安心、公平(@kohei_nagura)です。
さてさて、先日のこと。
こんな漫画に爆ハマりし、Kindleで購入しました。
『僕が僕であるためのパラダイムシフト』というマンガです。
内容としては「うつ」について。
そして、それを「どう克服したか」ということです。
この漫画を読んでメチャクチャ共感したワケなんですが、その理由は、
なにを隠そう、僕自身も過去に「うつ」を経験しているからです。
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昔のことを少し思い出し、「あ〜だいぶ成長したなぁ」なんて思いつつ、
ふと、ひとつだけ特にこのマンガから感じて共有したいことがありました。
…というのは、よく世間でも聞かれる『自分らしさ』について。
そんなわけで本日は、
『自分らしさ』ということをテーマに少しお話させていただこうと思います。
よく「あなたらしいね」って聞くけど…そもそも『自分らしさ』ってなんなんだろう??
【目次】
【「自分らしさ」ってなに?】
〔あなたらしいというワナ〕
そもそも論、「自分らしい」とはどんな状態のことをいうのでしょうか?
よくあなたも「あなたらしいね!」と言われることもあるかとは思いますが、
この「あなたらしい」というコトバは非常にボンヤリとしてて曖昧なものです。
「自分らしさ」とは、むりやり定義づけるとすれば、
自分の価値観を大切に自然体で言動が行えることです。
もっといえば、自分らしさとは自分のキャラクターをあらわしたものといえます。
もちろん、この「自分らしさ」というのはものすごくボヤ〜っとしているコトバですので、
もっともっと深掘りしていって自己分析してみないと自分らしさなんて見つかりません。
「自分らしく生きなさい!」なんてコトバは、世間にあふれすぎていてウンザリするかと思います。
しかしながら、当然「自分らしく生きる」というのは非常によい考え方ですし、
そんな僕自身も「自分らしさ」を発揮することは必要不可欠なことだと感じます。
ただですね、そこには同時に「自分らしさのワナ」が潜んでいます。
これ、どういうことかというと、まずあなたは
「自分らしさ」と聞いてどんなことを感じますか?
おそらく「僕らしさを発揮した人生にしたい」だとか「私らしく生きるには何をするか」だとか、
「自分らしさ」の模索に主軸を置くような回答が多いのではないかと思います。
でも、よくよく考えれば「自分らしさを活かしたその先のこと」はまずまず考えてないことに気がつきます。
「いやいや!私は(僕は)その先の世界も考えている!」と反論される方もいらっしゃるかと思いますが、
「これが私らしさ!」「僕らしく生きよう!」と答えが出た際、それは厳密には答えじゃないケースもありえます。
たとえば、あなたの強み(=あなたらしさ)が「好奇心旺盛」だとしましょう。
これは言い方を変えれば「飽き性」ということでもあるのですが、
この「好奇心旺盛」だとか「飽き性」 だとかがどう先々に活きるかは考えません。
いってみれば、この自分の性質の行く末を考えないことが多いということです。
つまり、「あ〜好奇心旺盛なのね!」と答えが出たと思って突き進んだのち、
数年たってなにか痛い思いをして、そのルートに穴があったことを知るのです。
もちろん、そんな手痛い経験をしたことがない方もいらっしゃるかとは思いますが、
「これが『自分らしさ』だ!」と決めつけて進むことには大きなリスクが潜んでいます。
そして、この原因を知る大きなヒントが「つくりあげた『モロイ』自分像」にあります。
〔つくりあげた自分像は意外とモロイもの〕
意外と、「つくりあげた自分像はモロイもの」です。
先ほど言ったような「好奇心旺盛(=飽き性)」という自分像は、
ある意味では正しいかもしれないし、逆に正しくないかもしれません。
たとえば、自分がいろいろなことに興味があると思っていたのに、
あるときから、ほとんど何に対しても興味がもてなくなったとします。
これ、完全に「好奇心旺盛」とは違います。
(当然なにも始まってないので「飽き性」とも違います)
その瞬間に、「好奇心旺盛」という自分像がモロクも崩れさるワケです。
なので、自分らしさというものをやんわりとイメージすることが大事なことです。
すなわち、つくりあげた自分像を「これだ!」と決めつけるよりも、
つくりあげた自分像の周りに空白の部分がたくさんあるイメージです。
僕自身「好奇心旺盛」と勝手に思ってるのですが(笑)、それはあくまで
過去の体験と周りの声でしか判断していないんです。
「昔あんなことに興味あったな〜」だとか「◯◯さんに多趣味ですねって言われたな〜」だとか。
でも、だからといって「100%好奇心旺盛」とはいえないことがわかるかと思います。
実際、さまざまなことに積極的に興味がわいていた幼少期から学生時代があったにもかかわらず、
冒頭でも少し述べた「うつ」時代は自分でもビックリするくらいなにも興味がもてなくなりました。
当然、この「うつ」というのは脳内のセロトニンという物質が分泌されなくなる病気なので、
神経伝達物質であるセロトニンが欠乏すれば、気分が落ちこみ興味が湧かなくなります。
この例からもわかるように、
自分が「これ!」と決めた自分像はもろくも崩れさることがわかるかと思います。
それでも、やはり日常で意識していないと「あなたらしいというワナ」にかかりそうになる瞬間もあるので、
なかなか一度かたまってしまった自分像というものは、そう簡単にはくずれないものだと改めて痛感しますね。
いくつになってもわからないものが、人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど、危険なことはない。
かの松下幸之助さんも「自分のことなんてよくわかってない」と言っていますので、
やっぱり「自分自身とはいえ(知ったつもりで)まだまだ知らない顔だらけ」なのです。
そんなわけで、「自分らしさのワナ」にとらわれず、そんなところも楽しみつつも、
新たに見つけた自分自身とちょうどよい距離感で付き合っていくことが重要なのです。
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【心の中に自分というリーダーを】
〔自立の正体は上手な依存〕
じゃわかった、と。
とにかく「自分らしい」というコトバは意外とモロいものだとわかった、と。
おそらく、そこでキニナルのが「どうやって自分が自分なればいいのか?」ということかと思います。
もっといえば、
「自立(=他の人などに頼ることなく自分ひとりでいられる状態)するにはどうしたらいいか?」ということだと思います。
これ、結論からいってしまえば「『自立』の正体は上手な『依存』」だとわかる必要があります。
世間では、やたら「自立だ自立だ」と自立した(と勝手に思っている)人間が崇め奉られています(笑)。
「自立している人はスバラシイ!」「自立していない人!みんな頑張って自立しようぜ!」的な。
そういった、なんか「自立サイコー!」空気が社会に蔓延してますよね。
もちろん、そんな自分がしっかり自らの足で立つ「自立」自体はイイことだと思います。
それに対して、「自立」の反対である「依存」はウケがあまりよくありません。
…うん、そりゃ当然なにも自分ができてないのに依存ばっかりしている人はたたかれますわな(笑)。
かくいう僕自身も、ただの依存人間は超ダイキライです。
でもですね、この「依存」が「自立」の前提条件だということは案外気づかれていません。
「7つの習慣」の根底にあるのが、「インサイド・アウト(内から外へ)」という概念です。これは、真の成功と幸福に導くものは、優れた人格を持つことであり、自分自身の内面(インサイド)から外(アウト)に働きかけることであるというような考え方です。つまり、周囲に影響を与えるには、まず自分から変えなければいけないということですね。
なんか「自立している人」って誰にも頼っていないイメージだと思いますが、
いったって、そんな自立した人も誰にも頼らず生きているわけではないのです。
むしろ、「自立している人」と考えれられている人ほど上手に相互依存の関係をたくさんもっているのです。
…ここで、なにか重要な点に気がつきましたか?
そう、ポイントは「相互依存」。
この「相互依存」と「(ただの)依存」をゴッチャにしてしまっていたので、
「自立の正体は上手な依存」というのが「???」だったかと思います。
たくさんの相手に少しずつ依存している人というのは、
それこそ少しずつ返すだけでギブアンドテイクのバランスも保たれます。
さらに、仮にどこかの関係が壊れてしまったとしても決定的なダメージを受けないのです。
つまり、まとめると
「まず先に『依存』がありき!」→ 「その後やっと『自立』せよ!」→「最終的に『相互依存』できる人間関係を築け!」
ということですね。
こんなふうにして、ゆるやか〜に他人とつながり働いたり生きていくことが、
楽しい人生を歩んでいくためのヒントになると考えれば気がだいぶラクですね。
〔自分が自分自身のリーダーになる〕
ここまで、「自立の正体は上手な依存」という話をしてきまたが、
やはりなんだかんだいって「自立すること」は大事なことです。
親や教師、友達や恋人などなど、他人に依存「だけ」することは良くないに決まっています。
…というわけで、ぜひそこのアナタにやっていただきたいことがあります。
それは、「自分が自分自身のリーダーになること」です。
おととい、アメリカにおける新しい大統領にバイデンさんが正式に就任しました。
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今回いろいろ紆余曲折はありましたが、
(いちおうカタチ上の)民主的に選ばれた「リーダー」が誕生したワケです。
当然ですが、国家における「リーダー」とはもちろん「権力を持つ者」のことであり、
アメリカでは、4年に1度の選挙にて、ひとりのリーダーに権力を与え4年ごとに見直しています。
もし仮にダメだったら別のリーダーを選べばいいですし、もしその人が強権政治に傾けば、
みんなで反乱を起こして立ち向かえばいいです(これぞ民主政治…理にかなってますね)。
これは、アメリカの歴史をひもとけば明らかなことですよね。
それに対し、日本には選挙はあっても「リーダー」はいません。
代わりに、実体のない「お上」がいるだけです。
(江戸時代には、上様、将軍様、公方様であり、御公儀のことでした)
では21世紀の「お上」はというと、現在の内閣総理大臣の菅さん個人でもなければ、
自民党でもないですし、もちろん内閣でも霞が関の特定の省庁でもないです。
逆に、その「すべて」といっていいと思います。
そういった意味で、この国には「真のリーダーはいない」のだと思います。
…だからこそ、
「自分が自分自身のリーダーになること」は日本において重要なイミをもつのだろうと感じています。
子どものころだったら、身近のいる親や先生や周りの大人たちがあれこれと世話を焼いてくれました。
わからないことは、ときには口うるさくアドバイスしてきたものの、それを聞けば教えてもらえたので、
あなたが子どものころは、どう生きていけばイイか悩むということはほとんどなかったのではないでしょうか?
すなわち、なんでも指示をしてくれるリーダーが自分の外側にいたということです。
しかしながら当然、大人になると子どものころような道しるべを示してくれるリーダーは減ってしまいます。
つまり、そんな「リーダー不在」のときこそ、
「自分自身が心の中のリーダー」になればいいのです。
自分で何をすべきか考え目標も自分で設定し、いわゆる『自分で自分のリーダーになる』必要があるのです。
【まとめ:最終的には何事も自分自身で決定を】
いかがでしたでしょうか?
ここまで、「つくりあげた自分像はモロい」「だからこそ自分が自分自身のリーダーになる」というような話をしてきました。
今回は、
ぜひ企業にお勤めの大人の方だけでなく学生さん含む若い方々にも読んでいただきたいと思っています。
というのも、先ほど述べたように「この日本にはリーダーが不在」だからです。
もともと、日本人の気質として「和を尊ぶ」というステキな性質があります。
ただ、これはウラを返せば「空気を読みすぎる」ということです。
つまりは、なんとなく周りに流されてしまい自分が「リーダー」という導く側にいく方が少ないのです。
たしかに、リーダーというのは重圧もあるだろうし責任あります。
しかし、なんだかんだで「自分が自分自身を導いていかねばならない」のならば、
いつも普段から「リーダーシップを意識していく」ことが必要不可欠なことです。
リーダーシップは、まず自分自身への発揮からスタートします。
ぜひ、あなたも最初に自分が自分自身のリーダーになって積極的にリーダーシップを発揮してみてはいかがでしょうか?
それでは、今回これにて失礼します。
皆様に、心よりの感謝を込めて。
公平